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「神雷部隊記」  

sim (3)
昭和30年5月に発行された、38ページの薄い本。
気になってて欲しかったのをヤフオクで、当然当時の定価ではありません。
発行されてから63年も経ってるのでヤケもあるし状態は良くない。
でも内容は私にとっては嬉しいものでした。
足立次郎少佐、湯野川守正大尉、新庄浩大尉、細川八朗中尉が主に当時の事や隊員の事を語っている本。
遺族の手記も掲載されていましたがこちらは昭和27年に戦友会から発行された「神雷部隊桜花隊」からの抜粋。
中根久喜中尉と大橋進中尉が写真付きで載ってたのです。
いずれも見た事のない写真だと思うのですが・・・大橋中尉の方は初めて見るものだと確信が持てるのですが中根中尉の方は多分見た事ないものだと思うんだけどという感じ。
中根中尉は飛行服に飛行帽、マフラーで口元を覆っている写真です。
大橋中尉は斜め右側から撮ったもので飛行服に飛行帽、口の下までマフラーで覆っているもの。
御遺族から借りたものか、証言をしている方が所蔵しているもののどちらかだとは思うんですが、残念なことに紙の質が悪くてはっきりときれいに掲載されてない・・・今ならもっと良く判るだろうにと思うと悔しい
神雷部隊関連の本では何故か集合写真以外大橋中尉の写真はどれも別人・・・

中根中尉と大橋中尉の事を語っているのは湯野川大尉です。
・神風隊の出現
『百里ケ原から神ノ池に移って本格的に訓練を始めた頃の事であった。
フィリピンで戦闘機が二十五番(二十五キロ爆弾)を抱いて体当たりしたというニュースがあって、この時にはかなり強いショックを受けた。
これが後の神風特別攻撃隊であったが、我こそは特攻一番機の戦士だと自負していたのに後の鳥に先を越されたので、少なからずがっかりした者がいたことは否めなかった。(神雷部隊は特攻することを目的に作られた部隊だった為)
神雷部隊特攻隊員の心境については後でいろいろ話が出ると思うが、神風特攻隊が突っ込んんでいったというときに、いろいろの人がいろいろなことを言ってきたが、その中で未だに忘れ得ない言葉をここには一つだけ挙げよう、それは中根中尉であった。
その時の中根中尉の質問が一番私の肝に銘じている。
フィリピンで戦闘機が二十五番を抱いて突っ込んでいった、その時、飛行機と爆弾が離れない様に、爆弾を飛行機にハンダ付けしたという噂が傳った。
これは本当ではなかったのであるが、ハンダ付けという話を聞いて憤慨している中根中尉は、「何故五十(五十キロ爆弾)を抱いていかないのですか、それにハンダづけなんかせずに、何故弾は煙突に、飛行機は艦橋に別々に突っ込まないのですか」と静かな言葉で私に質問してきた。
爆弾というものは、高いところから落として速力をつけてゆくほど効果があるもので飛行機に抱いたままぶつかったのでは効果は半減してしまう。
「弾は煙突に、機は艦橋に―」
中根中尉は理科系統学徒搭乗員であったが本当に特攻を決心した人間でなければこういう言葉は出て来ないと思う。
忘れられない言葉であった。』

この話は「神雷部隊桜花隊」の中でも湯野川大尉の寄稿文に書かれていますが、どういういった状況でどういう風にということが書かれていなかったので今回この本で判って成程と思ったのでした。
こういう考え方ができるのは戦闘機ではなく爆撃機での訓練を受けてきたから?
「弾は煙突に、機は艦橋に」これを読んだとき私は単純に「弾と機で二度当てることができるから?」などと思っていたのでした・・・馬鹿・・・。
憤慨してるからといって興奮気味にではなく静かに話すところが素敵です。
だからといって冷めてるわけでもなく遺品の中にあったノートに書かれてる事など読むとなかなか激しい部分もお持ちで・・・上手く自分の感情をコントロールできる人なのではないかと思いました。
こればっかりは年長者だから上手くできるとかいうものではないので・・・いくつになってもできない人は全くできない、と思う。

・大橋中尉の思い出
『大橋中尉―私はこの人が好きであった。
私に宛てた最後の手紙には、分隊長と書かないで、兄貴と書いてよこしてくれた。
私も又眞の骨肉を分けた弟のような気がしていた。
「生きるということはむづかしいことですね」ということを彼はいっていた。
学徒でありながら、古い搭乗員の多い第二次大隊長として全員を率い屡々宇佐、宮坂基地に分離行動をとっていて、色々苦労したようであった。
富高の海辺の夜の砂浜に二人で寝転んだ。
空には一ぱい星が出ている。
その星が悠々と動いている。
これを見ていると、戦争というものが妙にばからしい気になる事もあった。
「全く人間は不思議な動物ですね」
そんなことを話し合ったことがあった。
伊澤(勇一大尉、湯野川大尉とは同期生)と同じく大分、筑波、三沢と共に過ごし最も思い出の深い胸の痛む人であった。』

大橋中尉は第三分隊で湯野川大尉の右腕とも言われた方でしたが、湯野川大尉が鹿屋基地から富高基地に移動になるときに鹿屋に残ることになりました。
当時、桜花第一陣の予備士官ではもう大橋中尉と細川中尉しか残っておらず、二人の内どちらかが湯野川大尉と共に富高行きに、細川中尉は大橋中尉は湯野川大尉の右腕と目されているし多分自分が鹿屋に残されるであろうと思っていたようですが、予想に反して残されることになったのは大橋中尉でした。
鹿屋に残されるという事は死に近づくということです。
あの時はあの時で湯野川大尉の判断は間違ってはいなかったとは思う、多分。
適材適所で決めた結果だろうけど、それが大橋中尉と細川中尉の明暗を分けることになりました。
細川中尉は生きて終戦を迎える事ができましたが、大橋中尉は戦死してしまいました。
湯野川大尉も軍人としての自分の判断は間違ってはいなかったと思ってはいたでしょうが軍人じゃなくなった時にその結果に苦しんで胸を痛めたのではないかと思う。
人間人生の中で兄弟と思えるほどの人にはそうそう何人も出会えるものではないと思うので。
大橋中尉が出撃前に人に託した湯野川大尉への最後の手紙には「兄貴、今から征きます」と書いてあったそうです。

中根中尉についてはもう一つ記述がありました。
誰が話したのかは不明ですが。
『フィリピンに於いてはじめて神風特攻隊が出撃した時「どうして弾は煙突に、飛行機は艦橋にぶっつけないのですか」と言った中根中尉は純粋に特攻精神に徹していた。
出撃の前の日も、自分の飛行機のところにつきっきりで、整備兵と一しょに整備していた。
彼は日頃から飛行機の整備に万全を期しいつでも出撃できるようにして機会を待っていた。
彼は機を最上の状態にもってゆき、百パーセントの成果を上げようと日頃から心がけていたのであった。
無論他にも多くのそうした搭乗員を見たのである。
中根中尉は東京に於いて、爆撃により相愛の人を喪った模様であった。
同中尉は苦労を重ねつつ彼を育ててくれた父親と(ここは両親と書くべきところだと思うのですが・・・)、そして亡き人の事が心から離れず大事に胸に秘めている人であった。』

中根中尉にしても大橋中尉にしても内に闘志を秘めてるタイプのような気がする。
御二方に会ったことは当然ないので、想像するしかないのですが、何故そう思うのか・・・御二方の上官だった湯野川大尉はどうも大言壮語を言う人や謙虚さのない人を好ましく思わない方だったようなので(こういう人を好ましく思う人もいないだろうけど)、好ましく思うのはそうじゃない人間と単純にそう思っただけの話です。
上官と部下と言えども人間同士相性の問題もあるでしょうけど。
コナンばりの名推理なんて私にできるはずもない迷推理ならできるけど。

今日は中根中尉の97回目のお誕生日です。
本当にどんな方だったのだろうかと思う、もしできるものならお会いして色々と聞いてみたいこともたくさんある。
失礼に当たらない程度に30年位前の姿で・・・。



拍手御礼は続きより




リデルさん
試験問題6割正解で合格ラインなのだそうですが、微妙。
もう勉強したくないんで今回で何とか合格したいです。

何で変な誤解を受けるのか・・・プロレスや格闘技の話なんてしたこともないのに。
学生時代友人の中に一人か二人はプロレス好きの子がいましたけど。
同僚については普段から割と自分で勝手に決めつけて突っ走っていくタイプです。
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コメント

中根中尉の誕生日に寄せて

この度は、中根中尉97回目の誕生日にご紹介いただき、ありがとうございました。
きっと中根自身、天国で照れ笑いしていることでしょう。

『神雷部隊記』…こんな本があったなんて全く知りませんでした。表紙も初めて見ました!
湯野川大尉の回想に登場する中根と大橋中尉は、数々の書籍や資料で知るところですが、特に昭和27年に刊行された『神雷部隊桜花隊』と重複する記述ながらも、より具体的に記されているようですね。
また、中根と大橋中尉の写真も気になりますが…多分、中根の遺品アルバムにはないものでしょう。当時は紙質や印刷技術が粗悪だっただけに判然としないのが惜しまれますね。しかし、大変貴重な書籍には違いありませんが、劣化が進んでいるようなので大事に保管されることを願っています。

希少な本と共に中根をご紹介いただき、本当にありがとうございました。親族を代表して厚く御礼申し上げます。

薩摩切子 #oPE1xa0. | URL
2018/08/21 20:27 | edit

薩摩切子様

コメント有難うございます。
表紙の写真は合成っぽいです。
出撃前日に整備兵と一緒に飛行機を整備していたという部分は読んで複雑な気持ちになりました。
ここまでの思いで出撃したのだから完遂させてあげたかったなぁというのが私の本当の思いかもしれません・・・相手にも家族や大切な人がいるのは解ってるんですけど・・・。

写真では他に西尾中尉や宮下中尉が載っていました。
今の技術なら綺麗に載せられるのになぁと。

瑞貴 #8Y4d93Uo | URL
2018/08/25 02:07 | edit

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