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埼玉・講演 ② 田中三也さん  

講演、二人目は田中三也さんです。
田中さんは大正12年石川県生まれ、昭和14年10月第5期甲種予科練習生として霞ケ浦航空隊に入隊。
17年2月に飛行練習生教程を終了、偵察員として任務に就きます。
田中さんは「彩雲の彼方へ」という本を書いてらして、私はこの本が好きで何度も読み返しています。
一時間足らずの講演だったので内容も端折りながらだったのでもう少し長い時間話を聞きたかったなぁと。
著書を読んでいたので講演の内容が解らないということも特にありませんでした。

偵察の任務も危険なもので常に命懸けです。
敵機動部隊がどこにいてどんな艦がどのくらいの数とか写真を撮ったりとやることは山ほど、それも敵地に乗り込むわけですから敵からの攻撃を避けながら素早く任務をこなさないといけない。
偵察員は偵察が仕事ですから操縦員とペアで仕事をします、時には敵戦闘機に追尾され攻撃を受けるときもありそんな時は操縦員の飛行帽に付けた紐を引っ張って機をどちらにすべらせるか指示していたそうです、この方法が田中さん独自で編み出した方法なのか海軍の偵察員全員がやっていた方法なのかは判りませんが。

田中さんも関さんと同じように歩いて400キロを移動します(関さんは200キロだからその倍ですね)。
ゲリラの襲撃にも気を付けなければならないし食糧もなくなってくるので着ている物を現地の人に食べ物と交換してもらい、自分も疲れてヨロヨロなのに弱って歩けなくなってしまった戦友を助けと散々な思いをして17日間もかけてバンバンからツゲガラオに着いたのに告げられたのは「彗星」という艦爆機で特攻してもらうから偵察員から1名出せという命令でした。
しかも先任偵察員だった田中さんにその人選をするよう押し付けられたのでした・・・共に1名も欠けることなくここまで辿り着いた仲間死にたくないのは誰だって一緒なわけで中には衰弱してる人もいる・・・田中さんは自分自身を指名しました。
遅かれ早かれ死ぬのだからと自分を指名したものの故郷の親の事、田中さんの戦死を嘆くであろう彼女の事を考えたら涙が流れたそうですが・・・米軍の空襲で「彗星」は木端微塵になってしまったのでした。
その時は「しめた」と思う気持ちと一度はやると決めた覚悟の間で何とも複雑な気持ちになったそうで・・・この時同じように出撃することになっていた零戦の一番機(住野英信中尉・予備学生13期)の後ろ(狭いけど人一人潜り込める位のスペースがあったようです)に乗せてくれと頼み操縦席にしがみついて離れず住野中尉に「一機一人でたくさんだ、命を無駄にするな」と一喝されこんこんとお説教されたそう。
それでも離れない田中さん、最後は整備員に足を掴まれ引きずり降ろされてしまったと話されてました。
この特攻については、零戦搭乗員である角田和男さんの著書「修羅の翼」にも書かれていましたが、兵学校出の士官がいたにもかかわらず、志願したのは予備学生士官である住野英信中尉・・・角田さんは兵学校出の士官にはそれぞれ部下がいて志願したら部下も共にということになるから志願を躊躇したのではないかということでしたが、本職の人間がそれをしなかったらそれこそどこで何の仕事すんの?と私なんぞは思ってしまいましたが。
予備士官でも士官である以上は下士官よりも責任のある立場ではありますが、その上である兵学校出の士官が何もしないというのはやっぱり問題ありすぎだろうと思います。
それこそ死ぬその瞬間まで迷ったり生きる事への未練を捨てきれなかったりという人の事を私は臆病だとか弱い人間だとか思ったりはしませんが、上記のような話を読んだりするとちょっとそれは言い訳にもならないのではと思ってしまう。
仕事=誇りでそれに恥じない生き方をと思う人もいれば、仕事=ステータスで美味しいところは欲しいけどそれに伴う責任を果たすのは嫌だという人もいるわけで。
人間の立派さは出身や年齢、階級ではないということを戦記は教えてくれます。
角田さんもあの事に関しては本職の軍人である自分達が征かず予備学生士官だった人を征かせてしまったことは恥ずべきことだったと書いておられましたが。
住野中尉はおとなしい目立たない人だったそうですが大言壮語するだけが男ではないのでね。
第二十六金剛隊は一番機住野英信中尉、二番機鈴村善一二飛曹、三番機氏名不明、四番機岡本高雄飛長で出撃、一番機だけが飛び立ち後は故障で不時着したりだったそうです。
住野中尉のみ突入戦死。
この特攻は基地の幹部がクラークから乗ってきた飛行機を処分したいからという理由で編成された特攻隊だそうです、そんな理由だけで・・・こいつらマジ殴ってやりてえ。

内地に戻った田中さんは343空に配属。
8月11日に不時着事故で大怪我をします。
前から順に操縦員、田中さん、電信員の順(電信員のみ後ろ向きに座っています)。
不時着の瞬間田中さんはしゃがみ込んだそうですが衝撃で左に振り回されて気が付いたら頭を床につけて逆さまになっていたそうです。
電信員は無傷、操縦員は額を切って顔面血だらけで意識を失っていたそうですが軽傷、重傷は田中さんでした(後頭部頭蓋骨陥没、右肩骨折挫傷)。
8月15日終戦、搭乗員は速やかに基地を離れるようにと言われ、殉職した戦友の遺骨を首にかけ、右手を首につり頭に包帯をしたまま軍刀を杖代わりにして歩き出し鹿屋駅に着いたものの列車は屋根にまで乗客が乗ってる状態で満身創痍の田中さんが乗って移動できるわけはなく、またトボトボと歩いて基地に戻ったそうです。
途方に暮れていたところ、要務飛行で小松基地まで飛行機を一機飛ばすという話を聞いて同乗させてもらうことができ小松基地から汽車と電車を乗り継いでやっと我が家の玄関まで辿り着いたそうです。
満身創痍、遺骨を首から下げて立っている田中さんを見て妹さんは幽霊?と思ったそうで
お祖母さんが田中さんの両足にしがみついて「こりゃ、ほんものだ」と言って家に迎え入れてくれたそうです。
終戦後10年は職を転々としたそうですが大空への夢を捨てきれず昭和30年に海上自衛隊へ鹿屋航空隊に配属、退官後は民間航空会社へ。

田中さんは真面目なだけでなく時には面白おかしく上手に話される素敵な方でした。
不時着の話をされてるときも後ろ向きに乗ってた電信員は無傷だったので、新幹線や飛行機も進行方向とは反対に座ったらもしもの時大丈夫かもとおっしゃってました
著書の中の田中さんも優秀な偵察員であるけれども無邪気で大らかさを感じさせる青年で上官や先輩から可愛がられるのが解ると思いましたが、お年を召された今も変わらない感じがしました。
それと姿勢がよくピンと背筋が伸びて立ち姿がとてもかっこいい方でした。





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