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「大河巡る~生まれ変わっても忘れない~」「特攻志願」 ①  

人生で初めての映画館貸し切り状態で観ました。
私一人が観客でした、一人きりだと暗くなったときちょっと怖かったかも。
でも人目を気にせず涙を流せたので一人映画鑑賞も悪くなかったです、考えたらすごく贅沢ですよね。
本来貸し切りにしようと思ったら座席分のお金払わなきゃならないんですから。
始まるまでには他のお客さんも来るだろうと思ってたのに全然だったので、それに今日は割引デーで料金も安かった。
大阪まで出てるので交通費やらはかかってるのでラッキーでした。

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この作品はパンフのない作品だったのでチラシのみで。

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3作のオムニバス作品と短編映画がセットになってました。
短編の方の「特攻志願」を観たくて大阪まで出てきたのですが、「大河巡る」も良かったです。
「大河巡る」の1作目「夢幻」は何か話の内容が変で何じゃこれ状態でしたが、2作目の「さつまおごじょ」と3作目の「陽は落ちる」は良かった。
「さつまおごじょ」は知覧で特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんと娘礼子さん、礼子さんの息子の話でした。
トメさん役が伊藤つかさで、「あの伊藤つかさがもうこんな役をやる年になったのか」と
話の中心は娘の礼子さんでしたが、戦後20年が過ぎて結婚して知覧を離れている礼子さんの元に生き残った特攻隊員の方がたが集まって毎晩宴会状態。
最初は少ない人数だったのが徐々に増えて10人を超えてしまいます。
その人達が毎晩集まって飲んだり歌ったりですから、近所からの苦情や、礼子さんの夫からも文句が出る始末。
最初は訪れを歓待していた礼子さんでしたがだんだん重荷になって、断るにはどうしたらいいのか相談するのに知覧に帰省します。
母のトメさんは戦後も礼子さんのお姉さんと共に変わらず食堂を続けています。
悩みを打ち明ける礼子さんにトメさんは言います「あの頃征きたくて特攻に征った人は一人もおらん、そんな人達の母親になってあげようと私はお世話してきた、礼子はあの頃の事を忘れてしまったの?」。
その言葉で礼子さんは思い出します、戦時中のある日特攻隊員の一人が礼子さんに「将来は何になりたいの?」と質問します、礼子さんは「お母さんみたいにお店をやりたい」と答えます。
特攻隊員は笑って「それはいいね」と言いますが、最後は「礼ちゃんのお店にいってみたいけど・・・」と小さな声で呟きます、その隊員には自分に未来がないことは解っていたのだと思います。
トメさんは言います「今度は生き残った人達のお世話はあなたがしなさい」と。
礼子さんは生き残った隊員たちがいつでも集まれるようなお店を開く事にしました、その為には忙しくなるからと息子の潤をトメさんに預けます。
潤に特攻隊員の事を知ってもらうにはここ知覧で育てるのが一番良いと言ってましたが、そこまでしなくてもと思わないでもなかった。
礼子さんは「さつまおごじょ」という店を開き生き残った元特攻隊員が気軽に集まれる店になってるわけですが、酔うといろいろと本音が飛び出すことも。
「靖国で会おうと誓って、門のところで待ち合わせ最後の一人が来てから一緒に中に入ると言ってたのにまだ待たせたままだ」「あの頃は軍神だと言われてたのに戦後は特攻崩れと蔑まれてきた、いっそ自決したほうが良かったんじゃないかと思う、生きてていいのかと」「死んでいった戦友の事も特攻の事も自分達が死んだらいずれこの国の人達から忘れられてしまう」。
自決したほうが良かった云々は別としても、自分は生きてていいのか、戦友は靖国で自分の席を空けて待っててくれるだろうかというのはあの時生き残った方々の共通の気持ちでありまた苦しみの一つでもあるようです。
礼子さんは、「あの時命を懸けて特攻に征った人達のおかげで今の平和な日本がある、戦後焼け野原になった何もないところから貴方達が頑張ってくれたから今の復興を遂げた日本がある」と言います。
母娘2代で特攻隊員の心の拠り所となったわけですが3代目になるはずの潤は知覧で育てられたにもかかわらず、立派とは言い難い息子に成長、手持ちのお金がなくなったから母礼子の店に顔を出します。
時代とともに料理器具もいろいろと便利に進化を遂げてるわけですが礼子は昔と変わらないやり方でトメから教わった郷土料理を作り続けていました。
潤がやり方変えればいいのにと言いますが「昔と変えてはいけないものだってあるのよ」と礼子は答えます。
潤は店は継がないつもりでしたが、後に礼子は癌を患い店の階段も登れないほどの体調になって入院2ヶ月で亡くなります。
そんな母の姿を見て潤は店を継ごうと決めます、潤が店を継いでからも年月が経ち客層も変わりましたが料理は昔ながらの作り方を変えてはいませんでした。
「薩摩おごじょ」は実際にあるお店で、今は本当に潤さんが経営しています。
ほぼ実話ですね、潤役は和泉元彌が演じてました。
戦時中の話は今は潤さんが語り継いでいるようです。
礼子さんが言ってた、「あの時命を懸けて特攻に征った人達のおかげで今の平和な日本がある、戦後焼け野原になった何もないところから貴方達が頑張ってくれたから今の復興を遂げた日本がある」という言葉は私が母からよく言われていた言葉でもあります。
「あの戦争で戦ってくれた人達がいるからあんたは今の平和な日本で暮らしていられる、戦後頑張ってくれた今のお年寄りは大事にせなあかん」と。
自分達は生きてていいのだろうかと言う言葉には私は生きていて下さって有難うございますと思う。
戦後手のひらを返したかのようなつまらない人達の言葉に傷つけられ、もう何も言うまいと一時は口を閉ざしてしまった時を経て少しずつ当時の事を話して下さる方も出てきて特攻というものの本当の姿が世間の人にも解るようになった。
戦後命令した側の人間が書いた本には自分達を正当化する為に彼らは志願して笑って征ったなどと書かれていた。
薄っぺらい人間が書いた薄っぺらいものがまるで真実かのように独り歩きしては、亡くなった人達は浮かばれない。
薄っぺらい人間は恥ずかしいという感覚まで薄っぺらいのだなと思う、嘘ではなく本当に喜んで征ったと思ってるとしたら上に立つ者として資格も何もあったもんじゃない。
人間は機械ではない、仮にその時笑っていたとしてもそこに行き着くまでの苦悩は計り知れないものがあるはずだと思う。
そんなに悩まなかったなぁという人もいれば出撃してからもまだ心が揺れていたという人もいるそんなことも話して下さったからこそ知る事のできる本当の真実。

「陽は落ちる」は江戸時代の話。
夫が仕事で失敗を犯して切腹になるのですが、妻が最初から夫が切腹するその時まで気丈。
武士の妻の鑑やなというような人なのです。
夫の親友が切腹を告げる使者から介錯までを務めるのですが、その親友に夫は自分の死後妻と息子の行く末だけが気掛かりなので心の片隅にでも留め置いてほしいと頼みます。
親友には子がなく跡取りがないので、どうか自分の養子にくれと頭を下げます。
親友の家に養子に行けば妻も会いに行くことができるし、夫は喜んで親友の申し出を受けます。
家老が切腹に立ち会うにあたり妻に何か望みはないかと尋ねます、妻は「(切腹は刀でなく)扇子腹でお願いします」と言います。
扇子腹はあまり誉められた方法でないので家老は難色を示しますが「夫は一文字どころか十文字にでも切ることができますがその際血が飛んで御家老様の御召し物を汚すようなことがあってはいけませんので」と妻は答えます。
家老は承諾しますが、妻が扇子腹を希望したのには理由がありました。
夫は役職に就いた祝いにと妻が送った扇子を愛用しており、前日に「この扇子も共に(あの世に)持って行けたらなぁ」と呟くように言ったのを妻が聞いていたからでした。
切腹の場に臨んで、刀でなく扇子が出てきたので夫は?と思いますがそれが妻からの贈り物の扇子だと判り夫は心静かにその時を迎えたのでした。
親友を演じてたのは和泉元彌でしたが介錯の後涙を堪える顔が何とも悲しく、もらい泣きしたのでした。
夫の切腹が終わり、息子も親友と共に去って誰もいなくなった夕陽の差す屋敷に放心したように座っている妻。
傍には夫が切腹に使った扇子が遺されていました、妻はそれを手に取り引きちぎると、突然夫と子の名を叫んで屋敷を探し回り最後は引きちぎった扇子を抱いて号泣します、気丈な妻の心の糸が切れた瞬間でした・・・その妻の姿で作品は終わります。

3作中、1作目と3作目は後味の悪い終わり方で2、3作目には泣かされました。
和泉元彌が意外と良かったなぁと思ったのと3作目の妻役の竹島由夏という女優さんが良かった。
1作目の作品があまり意味のない内容の物だったので2、3作目だけで良かったんじゃと思ってしまった。
3作とも出演者はほぼ被ってましたが話自体には繋がりはない。

続く



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