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「人間爆弾「桜花」ー特攻を命じた兵士の遺言ー」  

昨年からいつ上映されるのかとずっと待っていた映画観に行ってきました。
一週間限定の上映なので気忙しいったらない。
しかもお盆をはさんでるのでその期間は電車も混むだろうしと考えて今日にしました。
朝10時から一日一回限りの上映なのでこの前みたいに電車一本遅らせるというようなことは絶対に許されないので5時前に起きて7時前の電車に。
快速に乗れば一安心のはずが、この快速というかJRよく遅れるのです今日も遅れました。
今までもイベントに行くのに何度か遅れたことがありJRには本当にイライラさせられる
時間に余裕を持って出掛けてますが30分遅れたらもう上映時間には間に合わない感じになるので出直しになるなと思ってたら10分程度の遅れだったので上映15分前に着くことができましたか。
途中速足小走りだったので汗がなかなかひいてくれず、映画観ながら途中まで汗拭き拭き

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チラシ表

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チラシ裏

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パンフレット。
何故かパンフレットだけは今年の2月に筑波海軍航空隊記念館で買ってあったのです。
映画館で売ってなかったらと考えて(売ってましたけど)。

ドキュメンタリー映画です、始めから終わりまで登場人物は一人。
林富士夫大尉(海軍兵学校71期)、桜花という特攻兵器の神雷部隊で第4分隊の隊長をしていた人です。
そして特攻出撃者を選びその名前を黒板に書く役目も担っていました。
インタビュー形式で映画は進んでいきます。
ただ質問されたことに淡々と答える。
沈黙の時間も長くて、映画が始まってしばらくするとどこからともなくイビキが・・・(笑)

ある日兵学校出の士官ばかりが招集され、そこで桜花という特攻兵器の事を提案されます、2名の賛同者があればその志願を根拠に桜花作戦を決行するというのが飛行長の説明でした。
考える時間は3日間、彼は志願します。
そこから特攻兵器桜花が実戦使用されるべく準備が進められていきます。
初めて桜花を見たとき、彼は「ああ、こんなもんか。これが俺たちの棺桶になるのか」と正直落胆したそうです。
彼に与えられた任務は特攻志願してきた人達に飛行方法を教えることと志願者の名簿から出撃者を選出して送り出す事でした。
当時の自分に課せられた任務についてこう表現していました「育てて鉛筆の先で殺した」と。
その任務は苦しく辛く、送り出した後人気のないところに行ってしゃがみ込み泣いたそうですが、黒板に名前を書くときに躊躇はなかったそうでこの心理状態が私にはちょっと解りません
泣くのなら躊躇するはずなのに、しない・・・解らん。
当時林大尉と同じ神雷部隊にいて部下が指名され出撃することになったとき、部下はどうしているだろうかと気になってこっそり見に行ったと手記に書いてらっしゃる方もいましたが、林大尉はそういうこともなかったそうです。
生い立ちなんかが関係してるのかなと思わなくもないけど・・・林大尉はお父さんが陸軍の軍人で自分も海軍軍人の道を選んだ時から国の為に命を捧げるのは当たり前、いつどこで死んでも仕方ないと思っていたそうで。
自分ではガチガチの軍人ではないと思ってはいたようですが、考え方の根っこがやっぱり軍人なのだなと私は思いましたけど。
お父さんにも特攻志願は事後報告でしたが、その時お父さんと話して、お父さんは息子に死んでほしくないと思っていたことに初めて気付いたそうです。

特攻が当たり前みたいな戦局になっていく中で「私が天皇なら即刻降伏しますね、今の戦争のやり方は馬鹿げている」と痛烈な批判をした予備士官がいたそうです、「(そういうことが言える)彼が羨ましかった」と林大尉がおっしゃってましたが、その方は西尾光天(みつたか)中尉です。
予備学生士官でしたが林大尉が一番気を許すことのできる仲の良い友達(戦友とか盟友ではなく友達だと林大尉は言ってました)で一番かわいい部下だったそうです。
ですが、一番仲の良い友達であるがゆえに早いうちに特攻指名しなければならない時がきます。
当然周囲は二人が仲の良い友人であることは知っているし、西尾中尉を生かしておくことは林分隊長はえこひいきしているという批判が出かねないしそれは西尾中尉にとっても良くない事なので、林大尉は「ほどほどのところでお前さんを殺すぞ」と西尾中尉に言ったそうで、西尾中尉は「ありがとうございます」と答えたそうです。
それから間もなく特攻指名され西尾中尉は戦死します。
戦死後、林大尉は西尾中尉の家を訪ねて仏壇を拝んだそうです、戦時中に部下の家を訪ねたのは西尾中尉だけだったそうです。
後年、西尾中尉の妹さんの元を訪ねてらっしゃるようです。
部下というよりも友だからという気がします。
自分が特攻指名して突っ込ませて死なせたことになるけど、それを気の毒なことをしたとは思わなかったそうで・・・この感覚も私にはどうも理解できないものでした。
後で泣くのに名前を書くときには躊躇しない心理と同じだろうとは思うんですけど。
おかしな時代だったからなのか・・・軍人だからそういう考え方しかできなかったのか・・・。
林大尉は神雷部隊の士官の集合写真を見て自分がどこにいるかは判らないと答えたのに西尾中尉の事はすぐに見つけました。
今でも忘れることのできない友だからこそだと思います。

スクリーンに集合写真が映り林大尉が歌う「長崎の鐘」が流れて映画は終わりました。

林大尉はこの映画がフランスで公開を迎えた初日、平成27年6月4日に93歳の生涯を閉じました。
「自殺志願」というタイトルで自伝を執筆していましたが未完のままです。
未完ですがこの自伝を元に「父は、特攻を命じた兵士だったー人間爆弾「桜花」とともにー」(小林照幸著)という本が出ています。

戦時中は指名した部下の名前を黒板に書くことに躊躇はなかった、自分の友を指名し特攻させたことをも気の毒には思わなかった林大尉でしたが、戦後はその事に苦しんだようです。
手記には1年365日毎日が慰霊の日々だと書いてらっしゃいました。
死んだ仲間を思い出せばいつでも涙が溢れるとも。
戦時中の自分の事は事実であったとしてもここまで本音で話すというのはなかなかできないことでしょうし(人間はどこか自己弁護したがるもんだと思うので)それをはっきりと語って下さった事を一言一句聞き逃さないように忘れないようにと思いながら観ました。
天皇の事にも触れて自分はこう思っているとかなりはっきりおっしゃっていたし。
パンフレットの最後に筑波海軍航空隊記念館の館長さんが寄稿文を書いてらっしゃってその中で「海軍大尉の頃の林さんを知る人物の中には、数々の取材に応じ、自伝の執筆を志し、積極的に戦争体験を語る姿勢に疑問を持った方もいらっしゃる様ですが、その変化は「軍が特攻へ進む過程」の記憶の継承の為でした。」ということが書いてありました。
寡黙な方だったということなのか・・・積極的に前に出るような方ではなかったということか。
戦時中どういう方だったという事がよく判らないので何とも想像しようがないのですが。
兵学校の同期で第3分隊の湯野川大尉は部下に厳しい人だったようですが、林大尉はいずれは出撃しなければならない隊員達なのだからと少々のことは大目に見る方だったようですが。
戦時中も自分の任務に次第にストレスを感じるようになり転勤を申し出たこともあったようです。
部下や友を指名して黒板に名前を書く事がストレスというよりも、指名され出撃していく人達に比べて自分は生きているという事、いつかは征く事になるだろうけれどその時は泰然自若として征けるだろうかという心の葛藤が心を苦しめてたのかな。
実際出撃する人も泰然自若としているように見えてもいろんな心の葛藤を抱えていたとは思いますが。
転勤を申し出た時、上官にかなり侮辱的な言葉を浴びせられたようですが、終戦間近な頃は違う所に移動になり「秋水」というロケット兵器の部隊の隊長として勤務していたとのことです。
出撃者を選ぶ任務にあたったのは20年6月までの約3カ月で、林大尉は少なくとも桜花の出撃者40人のほか、零戦で特攻した「建武隊」の89人(この129人の中に中根中尉や大橋中尉も含まれているのだなと思うと、複雑な気持ちにはなる)を指名したそうで。
林大尉の手記には、8月15日に敗戦を告げる玉音放送を聞いたとき「もうこれ以上、人を死に送らなくていいんだ」と思った気持ちが綴られているそうです。

長くなりそうなので今日はここまでということで。



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