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二日目 茨城県  

バスで眠れなかったことが良かったのかよく眠れました。
それでも目覚しが鳴るより先に目覚めましたが、6時20分。
「はやく起きた朝は」というトーク番組に見入ってしまった、この番組随分長い事やってるんじゃないだろうか、多分私が住んでる地域ではやってないので今回初めて見たけど。
後、ヒロミがゲストにベッキーを呼んで話すトーク番組も身支度しながら引き続き見る、関西では見れない朝のトーク番組は面白いなと思う、ベッキーを見ててやっぱり強かさを感じたけど芸能人はこれくらいの図太さや強かさがないとやっていけないのかも、もう清純爽やかなイメージではだめだろうけど。

8時前に朝食を食べに行く。
バイキングで結構人で賑わってました。
ご飯、パン、スープ、味噌汁、惣菜や果物、納豆は3種(さすが水戸のホテル)種類も豊富で美味しそう。
普段はパンなので今日はご飯に。
おかずはウインナー、きんぴられんこん、昆布の佃煮、味噌汁、オレンジ(オレンジよりもグレープフルーツを食べたかったのですが薬の関係で食べられなかった)。
納豆も気になったけど匂いがあるので。
味噌汁が具沢山ですごく美味しかったです、おかわりしたいくらいだったけどこれからまだ行くところがあるのでお腹いっぱい食べられないのが残念でした。
綺麗に盛って画像をなんて事はできない人間なので、撮ってません。

9時頃チェックアウトして水戸から友部へ。
多分もう来る事はないだろうけど水戸での時間は楽しかったです。
友部…土浦の方が開けてるんですね。
邪魔なキャリーバッグはコインロッカーに入れました。
ゴロゴロ音はうるさいし、予科練平和記念館では親切に受付で預かってくれましたがもう重くて嫌なのでロッカーに預ける事に。
目的地は医療センターの敷地内にあり土日にバスは運行してないのでタクシーで行きました。

筑波海軍航空隊記念館です。
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今回の旅行はここに来たくて計画しました。
映画「永遠の0」のロケ地でそれに合わせて開館されたので当初は期間限定の記念館だったそうで。
継続するかどうかは一年ごとに見直されるようでいつまでの開館かは分からない状況なので今回思い切って。

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受付で入場料を払ったらパンフレットをいただきました。
パンフレット込の入場料なのでお得感が。
受付の方に撮影はしていいのか聞いたらOKとのこと。

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予科練の制服、冬服です。
予科練平和記念館では撮影できなかったのでここで撮れるとは。
七つ釦で釦には桜と錨がデザインされてます。
短ラン…日本人の体型をよく見せてくれるデザイン。
夏は上下白、冬は上下紺、6月だけ上は夏服で下は冬の紺ズボンだったそうです。
練習生にも女学生にも6月バージョンが人気だったとか。
確かに爽やかでカッコイイかも。
白も爽やかでいいけど白のズボンて足が長くないと似合わないと思うので、はっきり言って日本人の体型にはあまり合わないんじゃないかと・・・。
今のドラマなんかだとスタイルの良い俳優さんが着るので素敵ではあるけども。

今回ここを訪れたのは「桜花隊分隊長と神雷部隊展」という展示を見たかったからです。
去年6月の旅行日程に何とか組み込めないもんかと思ったのですが無理だったので諦めたのです。
その時はまだこの展示はしていなかったので、日程が合わないのだから仕方ないかくらいにしか思ってなかったのですが、今はあの時はまだ行くタイミングじゃないよということだったのかもしれないと思っています。
展示物の中にどうしても見たいものがあって、それももう見る事ができないかなと残念に思ってたので正直これは縁だと。

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湯野川守正大尉(海軍兵学校71期)、桜花隊第3分隊の分隊長。
音楽評論家湯川れい子さんのお兄さんでもあります。
写真は兵学校時のものだと思います。
まだ少年の面影が残ってますがハンサムです。
伝記に載ってたのは白の夏服の方ですがこちらもよくお似合いで。

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こちらも湯野川大尉、横顔も素敵です(中根中尉の遺品アルバムから)。
湯野川大尉も素敵なのですが私が気になって気になって仕方なかったのは湯野川大尉の部下だった中根久喜中尉(予備学生13期)と大橋進中尉(予備学生13期)の御二方です。
御二方を知ったのは湯野川大尉の伝記だったのですが、何故かすごく印象に残ってしまいネットで調べてみる事に。
大橋中尉の事はほとんど判らなかったのですが中根中尉については数年前に御実家(茨城県行方市)の納屋から遺品箱が発見されその中には手紙や中根中尉が撮った写真が収められたアルバムが入っていてそれが大分県宇佐市に寄贈されたという記事が載ってたのを見つけました。
その遺品が宇佐市の図書館で展示されているという記事も見つけて宇佐市に行こうかと思ったのですがその資料展は1年前のものですでに終了・・・
もう拝見する機会もないのだろうなとがっかりしていたところ、今回筑波海軍航空隊記念館で遺品の写真等が展示されてる事を知ってこれこそ縁だとほとんど思い込みと勢いで茨城まで来たという。

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中根久喜中尉(日大・予備学13期)昭和20年4月14日第六建武隊指揮官として零戦で特攻出撃戦死、享年23歳。
湯野川大尉が疲労から黄疸になった時、心配した中根中尉が手足も凍りつきそうな小川に入り蜆を採ってきて蜆汁にして飲ませてくれたとのこと。
御両親に残したアルバムに貼ってあった湯野川大尉と共に写った写真の裏には「私が死ぬ時までかわいがっていただきました」と書かれていたそうです。
婚約者もいたようですが3月10日の東京大空襲で亡くなったとのことで、「もう思い残す事は何もなくなりました、分隊長(湯野川大尉)と共に死ねる事は私の喜びです」と湯野川大尉に話したそうです、実際に婚約者は亡くなってしまったのか、空襲後のゴタゴタで連絡が取れずにいただけなのかは今となっては判りません。
蜆の話からこの方は心のとても優しい人なのだなと思いましたが、当時基地の近くに住んでいた子供だった人が中根中尉から訓練の様子を見せてもらったり「キャラメルやチョコレートを一帯の子供達に分け隔てなくくれる優しい人だった、ラジオ放送で中根中尉の戦死を知った時、あんな立派な人間を何故一回限りの作戦に使ったのか・・・」子供ながらに抱いた疑問は83歳になった今も変わらず持ち続けてるそうで、子供ですら疑問に思う事を何故大人が実行に移してしまうのか・・・私も理解できない。
写真はみかん茶を飲んでる中根中尉です。

24 (19)
大橋進中尉(山口師範学校・予備学13期)昭和20年5月4日指揮官として出撃、桜花に搭乗、米駆逐艦シェイに突入命中し戦死、享年24歳。
この写真ですが中根中尉の遺品アルバムの中に貼られていたもので中根中尉のカメラで撮影されたものだと思われます(以前掲載していた写真はどうも別の方だったようで今回中根中尉の御親族の方に許可を得てアルバムの写真を使用させていただくことができました。5月25日差し替え)。
集合写真だと構えた感じになってしまうけれど、多分カメラを向けているのは中根中尉だと思うのですが、だからかな変に構えてなくて自然で柔らかい表情が素敵な一葉の写真です。
師範学校出身の方なので教師を目指しておられたのかな、年齢からしたらもうどこかで教壇に立ってたかもしれません。
中根中尉同様湯野川大尉の部下でした。
先任分隊士で湯野川大尉の片腕として頑張っておられたようです。
後に湯野川大尉は富高の基地に移動になり、大橋中尉とはこれが永遠の別れになりました。
多くを語らずともお互いの気持ちがよく解る間柄だったそうで、それだけにこの別れは湯野川大尉にとって終生の痛恨事として胸に刻まれているとのこと。
出撃時小さな紙に走り書きをして湯野川大尉に渡してくれるよう人に託しました、そこには「兄貴、今から征きます」と書かれていたそうです。
年は大橋中尉の方が上ですが分隊長である大尉の事を兄のように慕っていたのだと思います。
湯野川大尉からこの話を聞いた人は、冷静に話をされる湯野川大尉の声がたった一度だけ震えた瞬間だったと。
「喜びて御盾とならん若櫻我が屍でことぞ足りなば」大橋中尉、辞世の句です。
我が屍でことぞ足りなばという言葉の中にあの頃学業であったり努力の末叶えた希望の仕事を途中で置いて戦争というもののなかに身を投じるしかなかった彼ら予備士官の気持ちが切ない程に感じられて何度読み返しても涙が出てどうしようなく悲しく辛いです。
この辞世の句を大橋中尉の御遺族はどんな気持ちで読んだのか・・・。

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雪合戦、こういう一時もあったのだなと思う・・・。
無邪気に遊ぶ姿に、その瞬間を想像して見る側の表情もつい微笑んでしまうような写真です。
この他にも中根中尉は写真をたくさん残されていて(約300枚くらいあるそうです)それはアルバム6冊分だそうです。
自分が生きて過ごした瞬間を御両親に残したかったのかもしれません、自分より先に子に先立たれる親も辛いですが、この先老いていく親を残して逝かなければならない子の心もまた辛く苦しい。
腹立たしく思うこともしばしばですが孝行できる親が居る私は幸せなのか・・・?幸せなんでしょう。

「桜花隊分隊長と神雷部隊展」は最初の頃より少し縮小されていたのか湯野川大尉の血染めのマフラー(零戦に乗っていて故障で不時着したとき計器に顔を打ち付けて怪我をしたそうでその時に巻いていたマフラーか?)も展示されていたみたいですが今回見当たりませんでした。
残念。

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飛行服、真ん中は飛行作業がない時に着てた服?
神雷部隊と書いた鉢巻締めてます。

「桜花隊分隊長と神雷部隊展」の場所で結構長時間過ごし、別の展示室へ


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映画「永遠の0」に出てきた医務室。
この映画もドラマもほとんど見ていません。
父が見ていたのでところどころという感じで。
この医務室の場面はたまたま見ていて覚えてました。

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このコートを登場人物が着ていたのも見ました。

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入り口を入ったらすぐに立ってる看護婦さん。
入った瞬間人かと思って驚いた

二日目その2へ続く











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コメント

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# | 
2017/04/23 08:54 | edit

中根中尉の遺品写真

はじめまして。
この度は中根久喜中尉をブログで取り上げていただき、ありがとうございます。
かなり詳細に調べておられたのには驚きました。
私は中根の親族の者で、遺品管理と寄贈に関わりました。
文中の遺品写真に写っていた詳細不明の神雷部隊員が大橋進中尉と推測された写真を改めて確認しましたが、確かに似ていますね。可能性はかなり高いと思います。参考にさせていただきます。

薩摩切子 #oPE1xa0. | URL
2017/04/23 21:19 | edit

薩摩切子様
コメント有難うございます。
中根中尉の御親族様とのことでこちらこそ感謝しております、遺品を寄贈してくださったおかげで貴重な御写真を拝見することができたのですから。
2月に筑波海軍航空隊記念館を訪れたのも中根中尉が撮影された写真を見たいからという想いと勢いでした。
集合写真の少し硬い表情のものではなく戦友の方々と一緒に撮られている素顔の中根中尉を見ることができて嬉しかったです。
湯野川大尉の為に寒い中、川に入り蜆を取った、この一文でこの中根久喜中尉という人はどういう人なのかとても知りたくなり調べ始めました。
「神雷部隊始末記」という本で戦友の方の祝言に脱までして立会人になったお話しでは涙が出てしまいました。
あまり資料がない中、偶然ネットで購入した「特攻この地より」という本の中に中根中尉の事が書かれていたのでこの偶然に感謝しました。
御本人に御会いした事がないので想像の域をでませんが老若男女中根中尉に関わった人は本当にこの方の事が大好きになってしまうのではないかと私はそう思っています。
大橋進中尉については資料がほとんど見つからず未だどんな方だったのか判らないのが残念です。
写真については引き延ばしてじっくり見たり、集合写真と見比べたりしてそうではないかという可能性でモヤモヤした感じではあるのですが。
特別戦史に詳しいということはないと思いますが本が好きで今回の中根中尉のように本の中では中根久喜という四文字で書かれた名前でしかなくても23年間生きてきた歴史があり中根久喜という人を亡くなった後も想い泣いたであろう御両親や親族の人達の心を思ったとき胸が苦しくなりました。
今回コメントを頂き本当に嬉しかったです、有難うございました。

瑞貴 #8Y4d93Uo | URL
2017/04/24 23:50 | edit

中根中尉の遺品写真

丁重な返信、ありがとうございます。
中根に関心を持っていただき、このようにブログに取り上げてくださり、遺族を代表してお礼を申し上げますと共に、心から感謝します。
実は、今月14日が中根72回忌命日で、出撃した鹿屋基地(鹿児島県)で慰霊しました。
それに合わせ、中根の戦没70年記念誌『生と死の狭間に生きた23歳の青春』を作成し、御霊に報告しました。
つきましては、ささやかなお礼として、記念誌を贈呈したいのですが、いかがでしょうか?
ご迷惑でなければ、送付先をお知らせいただければ幸甚です。
何卒、ご検討の程よろしくお願い致します。

satsuma-kiriko@docomo.ne.jp

薩摩切子 #oPE1xa0. | URL
2017/04/26 12:04 | edit

ありがとうございます😊

はじめまして。
大橋進の親族の者です。
写真は本人で間違いありません。
偶然、ネットで見ていたら親族の事が出ており、メール致しました。
このように取り上げて頂きありがとうございました!

美祢の星 #- | URL
2017/09/24 22:08 | edit

美祢の星様
こんばんは、初めまして。
コメント下さって有難うございます。
大橋中尉に御親族がいらしたこと知る事が出来て嬉しいです。
御写真も御親族から間違いないとの太鼓判、神雷部隊に関しての書籍では別人の写真が大橋進中尉と注釈が付いていてずっとそれが大橋中尉だと思ってました。
いろいろ調べてみましたが縁もゆかりもない個人では限界があり人柄などは当時の上官であった方のお話からでしか想像できないものですから
ブログでも詳しく書けないのが残念です。
でも今回コメントしていただいたことで親族の方がいらっしゃった事が判っただけでも有難い事です。
ハンドルネームを見て気付いたのですが、山口県美祢市にお住まいなのでしょうか。
この度は本当に有難うございました。

瑞貴 #8Y4d93Uo | URL
2017/09/25 22:01 | edit

こちらこそ故人の事が知れて非常に嬉しく思います。
大橋進は、祖父の弟になります。
故人は、山口県美祢市の出身になり、親族は山口県にはもういませんが、先祖代々のお墓は美祢市にありますので、墓参りの際には故人のお墓の前に立つたびにどのような最期を迎えたのかずっと気になっておりました。
祖父は96歳で天寿を全うしましたが、生前に故人の話をする時には、自慢の弟だったようですごく嬉しそうに話していたのを覚えております。
私自身も故人について知らない事が多いので、実家に帰った時にでも父と一緒に遺品整理をして、改めて故人に触れてみようと思います。
この度は本当にありがとうございました!

美祢の星 #- | URL
2017/09/26 00:18 | edit

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