大好き

好きなもの、日常の事などいろいろと・・・

素直に喜べない・・・  

今日、出勤して更衣室で着替えていたら携帯が鳴る。
誰かと思ったら姉だった。
姉の電話は長いのでこれから仕事に入らなければならないし後でかけなおそうかとも思ったが急用だったらと思い直し出る。
最初にこれから仕事なのでと前置きして話しに入る。

姉 「あんたとこの家の住所ど忘れしてな、教えて。今、イオンに来てるんやけどパパとあんたに贈りたいもんがあるから。」

珍しいな・・・。
父の日と私の誕生日も兼ねて贈ってくれるらしいのだが、こんなこと今までなかったのになぁ・・・。
姉に何かしてもらうと後で交換条件を出されるので私は何もしてもらわないことにしてるのですが、もしかしたら夏休みに孫をこちらへ寄越そうと思ってるのではないかと・・・
「そんな気遣わんでええから」ととりあえず辞退を試みたが押し切られる。
姉妹なんだし深読みしすぎなのではないかと父は笑ってたが、素直に喜べない自分がいる。
今年の夏は妹親子も来れるかどうか微妙な感じだし、妹が仕事先で出世したもので多忙らしい。
姉の孫が妹の子供とゆっくり泊りがけで遊びたいからと今年の正月に来たときに言ってたので、妹達が来ない事にはどうにもならないだろうし。
娯楽のない田舎、さして楽しい事もないだろうと思うが。
20年位前ならまだ近くの溝にザリガニなんかがいて割り箸に糸をつけて先に煮干をくくりつけて水中に垂らしたら簡単に釣れたりしたんですけど今はもうザリガニもいない、溝はあるし水も流れてるけど、環境の変化か。
姉のところの子供達と「ザリガニ釣り行こうぜ」って盛り上がってザリガニ釣りしたんですけどね。
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靖国神社 遊就館 覚書のようなもの  

今回遊就館で見たかったのは菅野大尉のお財布ですが、他にも展示されていて印象に残った遺品があったので感想を覚えてるうちに書き留めておこうかと。

無題227
石川一彦陸軍中尉(写真・左)
香川県出身。
昭和17年陸軍航空士官学校卒、少尉候補者第22期生として任官。
奥様のふさ江さんとは同郷で昭和18年3月、見合い結婚、ふさ江さんは21歳石川中尉は28歳でした。
「神様みたいに優しい人」だったとふさ江さんは語っています。

飛行教官で各地の飛行学校を転々としたそうです、赴任先への列車、公務の石川中尉は2等、奥さんは3等車と分かれましたが、石川中尉は駅に着くたびホームに降り、窓越しに妻の体調を気遣った。
泊まり込みの週番勤務の時は、忘れ物にかこつけて従卒に様子を見に来させた。
つましくも、幸せな暮らしだったようです。

昭和20年1月千葉・銚子飛行場へ転勤、奥さんは2人目の子を身篭っていたので石川中尉は「落ち着いたら呼び寄せるから」と単身で赴任したそうです。
新しい任務は特攻でした。
石川中尉は教官でしたが教え子達だけを特攻に出すのが耐えられなかったのか自ら志願して隊長として出撃することになったそうです。
亡くなる10日前父親に出した手紙には、

「(前略)明日から当分下志津及壬生に於て最后の腕を磨いて行く予定です。
ふさ江は子ども二人を抱え今後苦労多き事と存じますが、
今は総てを犠牲にして任務に邁進するのみです。
嫁として色々と行きとどかない処も多い事と存じますが小生の妻として
文太郎、文男ともに可愛がって面倒を見てやってください。
尚、御両親様には今迄何一つ孝行もできませず、誠に申し訳有りません。
母上様やふさ江には私が特攻隊長になったことは言わないほうが
いいと考えますゆえ、当分父上様の胸の中に置いてください。」

母親や妻の気持ちを考えて特攻隊長になった事を父にだけ知らせ口止めしています。
その事を夫の上官から知らされた奥さんは2月に産まれた次男を一目夫に見せようと会いに行ったそうです。
4月3日石川中尉は沖縄の米軍艦船攻撃のため特攻機で福岡・大刀洗基地へ移動中、山口県内で濃霧の山中に激突し殉職。
この日、奥さんは大刀洗近くの甘木駅まで来て駅舎で夜を明かしていた。
夫の死を知り、香川の石川中尉の実家に帰り着くまで、汽車の中、声を殺し、泣き続けたそう。
「体じゅうがとけ出したかと思うほど涙がだらだらあふれ出て、着物のひざがびしょびしょになった」と。
戦後は女手一つで子供2人を育てあげたそう、この頃は婚家に子供を置いて自分は実家に戻り再婚という道を取る人もいたようですが、ふさ江さんは再婚を考えた事もなかったそうです。
悲嘆や絶望(赤痢で命を落としかけたことも)で幾度となく亡くなった夫に助けを求めた、ふさ江さんの戦後でした。
「夫が生きた証し、夫との日々をかたちにとどめておきたい」と歌を詠み始めたそうで、

ひそと受くる公務扶助料(恩給)は 戦に果てたる夫の血のしたたりか

という歌を詠まれています、本当はお金なんかではなく夫を生かして返してくれと心の内では叫んでいたのではないかと思ったりする。 

その石川中尉が身につけていた手帳が遺品として展示されていました。
その手帳には赤ちゃんの写真が挟まれていて、手帳の開いたページの上に乗せられていました。
手帳には今も使われているかのように書かれた文字・・・そこに子供の写真、それがとても生々しい感じがして今でも忘れられません。
手帳に挟んで時折見て〝どうしてるだろうか、会いたい〟などと思っていたんだろうとその時の石川中尉の気持ちが手に取るように判って辛かったです。
私の母方の祖父も戦地で幼い母の写真を見ては会いたいと一人で泣いたそうです(写真の裏には祖父が母を思って書いた詠が書いてありました)。
その話を母から聞いていたので余計に石川中尉の事が心から離れなかったのかもしれません。

出撃前、石川中尉はふさ江さんに遺詠を残していました。

「ゆかしき心もて 銃後に備えよ 大和なでしこ 」

夫を亡くして59年目にふさ江さんが詠んだ返歌は

「なでしこよとわれに遺(のこ)して出で征きし 夫の心に添はむとおもふ 」

神様みたいに優しかった人とのたった2年間の結婚生活、その人を愛し続ける気持ちは色褪せることなく深く想いつづける気持ちに年月は関係ないのだなと思いました。



無題228
植村眞久海軍大尉
東京都出身
昭和18年9月第13期飛行予備学生
昭和19年10月26日 神風特別攻撃隊大和隊、第一隊々長として出撃
レイテ島東方海面の米機動部隊に特攻、散華(享年25歳)

「愛児への便り」
「素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。 素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。 私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。
 素子といふ名前は私がつけたのです。素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。 私はお前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのをみとどけたいのですが、 若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても決して悲しんではなりません。
 お前が大きくなつて、父に会いたい時は九段へいらつしやい。そして心に深く念ずれぱ、 必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前は幸福ものと思びます。 生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちやんを見ると真久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。 またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、 御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。 必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護つて居ります。
 優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを讃んで貰びなさい。
昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ

追伸、
 素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。 だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。 」

私がこの手紙を初めて読んだのは、19、20歳の時でした。
大阪心斎橋大丸で「学徒出陣~ペンを銃に持ちかえて~」をテーマにした遺品展示が催事場であってそこで見ました。
大阪、十三の祖母に家へ遊びに行ってたのでそんなに遠くもなかったし回天の展示(本体か一部かどちらかだった)もあって、両親からの話でしか聞いたことがなくいまひとつどんなものか想像がつかなかったので見に行く事に、妹と一緒に行きました。
本当に軽い気持ちで行った事を後で後悔する事になるのですが・・・。
そこには勉強に使っていたノートや日記、日本画家をめざした学生が描いた鳳凰(と記憶している)の絵等が展示されていました。
鳳凰の絵がとても印象に残っています、鮮やかな色彩が美しい作品でした。
芸術の世界で生きて行くのは大変で名を残す程の画家になろうと思ったらそれなりに苦労はしたでしょうが、望まぬものに無理矢理夢を奪われるよりは苦労のし甲斐もあったのではないかと。
そんな中に植村大尉の愛児への手紙も展示されていました。
何気なく立ち止まって読み始めた手紙でしたが・・・そこから動けなくなってしまいました何故なら涙が止まらなくなってしまったから。
妹は判っていたので何も言わず待っててくれました。
私は父親っ子(今でこそ毎日一緒は辛いとこぼしてますが)だったので、この手紙から溢れ出る父親の愛情が痛いほどに理解できたからです。
この時は自分は幸せだ大好きな父と一緒に暮らせるのだからと思ったものです。


内地を出発する前夜、植村大尉は大村基地から東京の自宅に長距離電話をかけました。
妻に生後三ヶ月の娘・素子さんの声を聞かせてくれるよう頼みましたが、素子さんはにこにこ笑うだけで声を立てない。
植村大尉は「お尻をつねって泣かせてくれ」と頼みます、でも妻は笑っている娘にそれも出来ず、乳を含ませて飲み始めたところで
離すと泣き出したそうです。
植村大尉は電話越しに娘をあやし、やがて電話を代わった母親に「子供は本当に可愛いものですね。お母様たちのご恩を深く感じます」としみじみ語ったという。

娘の素子さんは父・植村大尉が散華してから22年目の昭和42年3月、父と同じ立教大学を卒業。
4月22日素子さんは靖國の社に鎮まる父の御霊に自分の成長を報告し、母親や家族、友人、父の戦友達が見守るなか、文金高島田に振袖姿で日本舞踊「桜変奏曲」を奉納した。
舞い終わり友達から花束を受け取った素子さんは、「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」と言葉少なに語ったそうです。
無題229
「桜変奏曲」を舞う素子さん。

娘の成長を植村大尉も喜んでいたと思いますが、生きて奥さんと共に娘の成長をそばで見守りたかったことと思います。

初めて植村大尉の手紙を読んだ時から長い年月を経てまた実物に遊就館で出合う事になりました。
再び出合ったことで、あの時に感じた気持ちを思い出せた、父も私もお互い歳とってくたびれてきて一緒に居る事がストレスになってきて、それでも親だから仕方ないかと思いつつ・・・それでも一緒に暮らせる事って有難い事なんだなと。
たまに一人で旅に出て一人って幸せ~ってガス抜きして、またいつもの日常に戻る、あの頃みたいに素直な心で幸せだと思えない自分もいるけどまぁそれなりに上手くやっていこうと思ったのでした。
そばで成長を見守ってくれた父、親孝行しないとね、ダメだよね。






category: 大東亜戦争

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当事者だけが語れる真実  

会社にお土産を持って出勤。
東京まで一人で行ったと言ったら、みんなに驚かれ何故?と聞かれる。
一人旅をするようなタイプには見えないらしい。
「自分で予定を立てて自分の動きたいように動けるから」と言っても、みんなは不思議そう。
職場の人達もよく旅行するけど同僚同士や友人、姉妹と一人旅はしないという人ばかりだ。
一人、男性の同僚は一人旅をよくするらしく「気楽でええわな」と言ってたけど。
祖父母の兄弟が戦死して戦友会みたいなので靖国神社に行った事があるという同僚もいました。
可愛がってくれる古株のおばちゃんのNさんが「誘ってくれればよかったのに」と、それが困るから出発は内緒にしてたのですが。
以前「永遠の0」観に行って来たと話してましたが、ただ単に話題の映画だからだろうくらいの気でいました。
他にも大東亜戦争に興味があって一度は靖国神社へ行ってみたいという人が何人かいました。
普段そんな話はしないから意外な気がしました。
科長にも「瑞貴さん以外と行動的なんやな、特攻の知覧へは行った事ある?」「ないんですけど、いつか行きたい」などと話していたら、Nさんが「私の知人のお父さんが元特攻隊員で、天候不良で出撃が伸びてる間に終戦になって帰って来れたんよ。いろいろ話聞いたんやけど、あの頃慰安婦のところに行ったりしたいう話しも聞いて・・・でもお父さんは男の性的な欲求を満たす為やなくて慰安婦に母親を求めてたって話してくれた。出撃したらもう最期、二度と母親には会えない、慰安婦に抱きついて「お母さん!!」て泣いたって・・・そんな特攻隊員が自分だけじゃなくて他にも居たって。あの時代にはそうやって死んでいった特攻隊員がたくさん居たって。」
こういう話は私自身本なんかで読んだことはなく、当時者しか分からない真実なのだと思いました。
〝ここは職場だ泣くな泣くな〟と自分に言い聞かせたけれど出てくるものは抑えることができず・・・。
「特攻隊員が最期に帰りたいのはお母さんの胸です」と元特攻隊員の浜園重義さんがおっしゃってた言葉を思い出しました。
映画やドラマでは知ることの出来ない真実は重く、ただ切なく悲しいものでした。
「そのお父さんは今も元気にしてらっしゃるんですか?」とNさんに聞いたら「うん、元気にしてるよ」という事でした。
生き残るということはその当事者にとっては決してラッキーだと諸手を挙げて喜べることではないということ、確かにもう特攻に行かなくていいとホッする気持ちもあるようですがその後に襲ってくるのは自分だけが生き残ってしまったという罪悪感だそうです。
その罪悪感は生涯抱えて生きていかなければならず、それは生涯を終えてあの世で戦友に再会し「よく来たな待ってたぞ」と笑って迎えられた時にやっと降ろすことのできる重い重い荷物なのかもしれません。

category: 大東亜戦争

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東京 最終日  

今日帰ります。
やっぱりあまり眠れなかった・・・
東京へ来て毎朝思ってたのは「おはよう朝日です」やってない・・・。
近畿圏だけ?なので当然東京ではやってないし、朝は「おはよう朝日です」しか見てなかったので何か変な感じ。
仕方ないので違うのを。
チャンネルもこっちとは違うので「羽鳥モーニングショー」は何チャンなのかいちいちリモコンで探さないといけない。
化粧をするけど2日も眠れないとノリが悪く、朝用のシートパック買えばよかったなぁなどと思う。
8時前に宅配で送ってもらう荷物をフロントまで運ぶ、2個あるので往復する。
発送手続きをして朝食を摂りに行く。
昨日よりも人が多い、昨日はなかったいなり寿司があったので食べる・・・どうして朝からいなり寿司なのかなぁと思いながら食べたけど美味しかった。
チェックアウトは10時だけど買い忘れたお土産があって再度靖国神社へ行きたかったので9時にチェックアウト。
近くにホテルを取るとこんな時便利。
昨日とは違う道で靖国神社へ向かう。
昨日は一旦大通りへ出てから行ったのですが今日はホテルを出てすぐ右に曲がりきつい坂を上る。
途中で築土神社を見つけた。
少し前に「羽鳥モーニングショー」の石原良純のコーナーで靖国神社や築土神社のことを取り上げてて真剣に見てしまった。
こんなところにあったんかと。
平将門の首桶が保管されてる神社で(首桶は昭和20年に焼失したらしい) 、その首桶を見た人は目が潰れるという言い伝えがあり宮司さんでも容易に見ることは許されなかったと。
「恐っ」と思ったので外からこそっと中を見て通り過ぎました。

靖国神社の拝殿にお参りして遊就館へ。
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実は昨日拝殿の画像を撮り忘れたのだ・・・
拝殿は正面から撮ってはだめだそうです。
警備の人がずっといます。
真夏や真冬はきついだろうな。
交代制だろうけど。

お土産だけ買って帰ろうと思ったのですが時間はまだあるし、もう一度菅野大尉のお財布見て帰ろうと思いチケット買って展示室へ。
次はいつ来れるかもう来れないかもと思いながらしっかり目と心に焼き付けて遊就館を後にしました。
社務所の前におみくじがあったのでひきました。
おみくじの有効期限は次のおみくじをひくまでだそうで今回一人旅を実現させたので一度リセット。

もう寄る所もないので東京駅へ。
12時半の新幹線だったのですが1時間以上早く着いてしまったので駅弁を買ったりして適当にぶらぶら。
それでも時間をもてあまして休憩室みたいなところに行って座り読書。

12時半発の博多行きのぞみに乗って帰路に着きました。
ちょうど昼食時だったのでお弁当を。
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「湘南しらす弁当」1100円
「駅弁屋 祭」といういろんな駅弁が売ってるお店で買いました。
行きに買ったステーキ弁当を食べて、シンプルな弁当の方が駅弁は美味しいのではないかと思ってしまったので肉系ではなく魚系で。
味はすごく美味しかったです。
また食べたいなと思ってしまった。
行きは思ったより混んでて隣に人が座ってたので画像は撮れなかったのですが今日は隣が空いてたので撮れました。
食べた後は寝た。
行きは緊張からか眠れなくて体調まで悪くなってしまい東京に着くまですごく時間が長く感じたけど帰りは寝たので早く新大阪に着きました。
家に着いたのはもう夕方、長い道のりでしたが無事帰宅。
猫達にただいまの挨拶をして、仏壇の母にも無事帰宅を報告。
そうこうしてる間に父も仕事から帰ってきて、いつもの日常に逆戻り、夢のような時間は終わりました。

夕飯は、父は赤飯(赤飯好きの父に東京駅で買った)、私は駅弁(駅弁屋祭で購入)。
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「海苔のり弁」900円
「マツコの知らない世界」で見て美味しそうだなとずっと思ってて見つけたので買ってきた。
シンプルで普通に美味しかったです。
駅弁て乗り物に乗って食べるから美味しいんだなとちょっと思ってしまった

今回の旅行で一人になれたのがすごく良かったです。
母が亡くなってからずっと父と二人きりで、特に最近は父も歳とって少しずつ気難しくなってきてそれで私自身も同じ空間でいる事が少々、いやかなり苦痛だったのでここらへんですっきりしたかった。
あまりにも一人が気楽過ぎて本当はこのまま失踪したいわと軽く思ったりもしたんですけどね
今回の旅行も「行きたいんだけど」と言ったところ「(父自身が)元気なうちに行ってきたらええやん」と少し自棄気味に言ってたので、正直チッと思ったりもしたのですがそこはもうお金で解決しました。
親子間でお金・・・と思わなくもないけどお互い気持ちよく過ごせるならいいじゃないかと思うことにした。

今回で旅行の覚書はおしまいです。

無題226
靖国神社でひいた「桜みくじ」
お守りは桜か鳩が入ってます。
私は桜だった。

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大吉でした。

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旅行 気になっていた場所へ。

さぁ、次はどこへ行こうかな

拍手御礼は続きより
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category: 旅行

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東京2日目 その4  

靖国神社から一旦ホテルに戻り、少し休憩して次は神保町へ。
ホテルを出て右に行けば靖国神社、左に行けば神保町・・・まるで私の為にあるホテルだよと思ったりした
靖国神社でずっと歩きっぱなしだったし、神保町まで地下鉄で移動しようかなと考えたけど、歩くのも楽しいかなと思い直して歩き始めました。
歩いて正解でした。
田舎の電車は一駅の区間が長いけど都会は驚くほど区間が短いことにビックリ。
地図では結構な距離に思えたけど実際は田舎者の足腰ではたいしたことのない距離でした。
古書店がたくさんあって覗きながら歩くのがもう嬉しくて楽しくて。
戦記物をたくさん扱ってる文華堂書店と軍学堂へ行って数冊購入。
古書といっても値段はあまり安いとはいえない場合もある状態も良くなかったり。
ものによってはアマゾンで買う方が安いし状態もいい場合がある。
アマゾンで買う方が安いか、今ここで買う方が安いか、調べながら買う。
目当ての店で買って帰りに覗いた古書店の方が安いと判った時はショックでしたけど
本は重いけどついつい買ってしまい・・・。
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「総司炎の如く」以外全て戦記物。
文庫本は4冊を除いて、一つの古書店で200円均一のコーナーで購入。
光人社は戦記物を出してる出版社なのですが文庫本でもよその出版社より高いので新刊ではなかなか買い難い、よもやま話のシリーズが好きで中、高校の時よく読んだのですが高いので全て叔父に借りて読んでました。
今はアマゾンで中古本を買う事がほとんどなのですが送料が高いので(同じところで買っても送料は安くならない)、200円均一で買えたのは嬉しかった。
帰りは重い本の袋をいくつも下げて歩きました。

古書店ではないけど、書泉という本屋さんへも寄ってみました。
ここは19歳の時、母方の祖父の本家の法要で東京に来て、両親に連れてきてもらった想い出の本屋さんです。
買った本は今でも覚えてます「宝塚グラフ10月号」と「ヴィヴィアン・リー」の写真集でした。
ヴィヴィアン・リーの写真集は今でも宝物です。

軍学堂の近くで猫のグッズを扱ってるお店を見つけたので入っていろいろ買いました。
妹の子供達へのお土産もここで。
靖国神社ではこれといったものがなかったので。
無題225
がま口の小銭入れが可愛くて一目惚れ。
タオルハンカチは肌触りが良くてつい。
ピンバッヂと誕生日の招き猫。

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猫のポストカード集めてます。

帰り道にあった成城石井というスーパーで味つきのうずら卵を購入、以前大阪で見掛けて買ってすごく美味しかったので。
ホテルへ戻り買った本を読んだりしてベッドでゴロゴロ。
明日は帰る日だし荷造りするかとやり始めたのはいいけど、ここで恐ろしいことが・・・ちいさなおみせで買った物がキャリーケースに入らない
箱が嵩張って入らないのです・・・とりあえずキャリーケースには本を詰めて、後は箱で宅配で送るしかない。
まぁ荷造りは一時中断して少し早い時間だけど夕飯にしようと外に出る。
昨日は日曜だったのであまり人も通ってなかったのですが今日は結構というかかなりの人。
平日はこうなんだ・・・さすが都会。
昨日は開いてる店もほとんどなくファミレスでの夕飯でしたが、今日はいろんな店が開いてたのでどうしようかとブラブラ。
私、あんまり美味しい物を食べるとかそういうのに興味がないので外出してもほんと適当に食べる。
旅行したらそこそこのホテルに泊まって美味しい物を食べるのが楽しいという人もいるけど、ホテルは寝るだけだし清潔ならそれで良い、食事は安くていい、その分買いたい物にまわす。
牛丼屋だって立ち食いそば屋だって一人で入るし。
そばを食べたいなと思ってそば屋を探す、ホテル近くでいい感じのそば屋さんを見つけて入ろうかと思ったら「本日貸切」の張り紙・・・
少し歩いて「小諸そば 九段下駅前店」に入る、立ち食いではないけど食券を買って注文・・・そばと丼物だけでうどんはない。
関東はそば屋と暖簾を出してたら、そばしかないのだろうか?
関西はそば屋でもうどんはあるけど。
うどんよりそばの方が好きなのでえび天そばを注文、ワンコインでおつりがきた。
御飯も食べたかったけど、セットじゃ量が多すぎて食べ切れない、外食で残すのはすごく嫌なのでそばのみで我慢。

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470円・・・えび天が2尾(そんなに小さくない)入っててこの値段は安い。
関西だとえびがもう少し小さいと思う。
味は美味しかったけど、想像してた通り出汁が濃い・・・。
濃い味が好きなのですが、ちょっとだだ辛かった(醤油辛い)。
でもそばは美味しかった。
満足して店を出る。
近くでまたスタバを発見、昼間とは違う店舗だったけど、昼間入った店舗よりは小さめ。
近距離に同じ店・・・儲けが分散しないのかと思った。
実は昼間入ったスタバで美味しそうなのを見つけたのですが注文した後だったので諦め・・・それを買おうと入った。
ストロベリー ディライト フラペチーノ、昼間のバニラクリームフラペチーノといいこんなにカロリーの高いものをと思わないでもなかったけど、すっかり箍が外れて・・・気にしない気にしない・・・ちょっとは気にした
後、早い夕食にそばを食べたら絶対にお腹減ると思ったのでサラダラップ 12品目野菜 レモンクリームも買ったけどこちらは口に合いませんでした

部屋で「しくじり先生」(好き)を見ながら再度荷造り・・・やはりどう考えても入らない、フロントへ宅配の箱を置いてるか聞きに行く。
部屋の電話で聞けばいいのにと思うけど・・・慣れてないことはしない。
その前に近くのコンビニへ、特に用もなかったけど歩いて行けるコンビニなんて我が家の地域にはないので、やってみたいことは全てやっておこうというやつです。
今日で最後の東京の夜なので。
コンビニ帰りにフロントで聞いたら大中小の箱を出してくれたので大の箱を。
無料のホテルもあるみたいですがここは有料で324円。
フロントで組み立ててくれたのですが・・・

スタッフさん 「あのう・・・」

私 「はい?」

ス 「申し訳ございません、箱を逆さまに組み立ててしまいました・・・テープ貼り直し、よろしいでしょうか?」

私 「いいですよ」
可愛らしい女性スタッフさんでした。

部屋に戻り再び荷造り、大きな箱がいっぱいに
本は嵩張ります・・・。
荷造り済ませて、シャワーを浴びて、ニュースを見たりバラエティを見たり。
関西ではやってない番組もあり面白かったです。

自分以外の人の為に時間を使わないで済むって本当に幸せなどと思いながら寝ました

最終日へ続く。


category: 旅行

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東京2日目 その3  

昼食は遊就館内にある「茶寮 結」というお店で摂りました。

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「海軍カレー」680円。
特にカレーが好きというわけではないのですが、カレーは2種あり「海軍カレー」は昔懐の味、「横濱カレー」は現代の味だそう。
「海軍カレー」は明治41年9月に発刊された「海軍割烹術参考書」というレシピ本の通りに作られているそうです。
多分今みたいな固形ルウではなく小麦粉にカレー粉混ぜて(母から聞いた事がある)作ったカレーだと思います。
話の種に一度は食べてみようということで。
味は子供用のレトルトカレーみたいに全然辛くない甘いカレーでした。
人参、ジャガイモは賽の目切り、肉は牛肉。
海軍カレーでも肉はいろいろだったみたいで、百里原海軍航空隊ではウサギの肉だったと江名武彦さん(海軍少尉)のインタビュー記事で読んだ事があります。
私は辛いカレーは苦手なんですがこれは・・・甘すぎるかも。
辛いのがカレーと思ってる人には美味しくないかもしれません。
注文時、海軍珈琲も勧められましたが、断りました。
コーヒーは8:2くらいで牛乳が入ってないと飲めない、8が牛乳。
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カレーについてた説明書き.

昼食を終えて買い物へ。
会社と妹にお土産と自分の欲しい物なんかを。

買った物。
無題224

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本3冊。

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お菓子類は遊就館の売店ではあまり置いてなかった。
あとピーナッツとあられを砕いて砂糖でかためたものも買いました(外の売店で)。
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レトルトカレーは職場での昼食用に。
陸軍さんのライスカレー・・・当時敵性語だったライスカレーということで辛味入り汁掛け飯・・・不味そうなネーミング。
そもそもライスカレーって和製英語じゃないのか?
陸軍は敵性語云々というのがあったようですが海軍は普通に英語使ってたようです、英語といってもルー大柴風の。

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マグカップとか湯呑みは旅行先でよく買います。
割りさえしなければ残るので。
眼鏡ケースはただ単に可愛くて気に入ったから。
ピンバッヂは零戦と紫電改。
靖国神社の桜。

買い物を済ませて遊就館を出ました。
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遊就館の入り口近くにある、特攻勇士の像。
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神雷桜。
2つ目の鳥居をくぐって右手にある桜の樹です。
神雷部隊戦友会が奉納した桜です。
神雷桜は他にも数本あるそうで私が撮ったのはそのうちの1本です。
神雷部隊は特攻兵器「桜花」の訓練部隊として編成されました。
隊員達は「靖国神社の神門を入った右2番目の桜の木の下で会おう」と約束をしてそれぞれ出撃をしていったそうです。

貴様と俺とは同期の桜
離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社
春の梢に咲いて会おう

軍歌「同期の桜」の歌詞を思い出しました。
母方の祖父に教わり今でも完璧に歌える。
気難しい祖父でしたが小さい頃膝の上でこの歌を教えてもらい一緒に歌った記憶が今でも残ってます。

桜の季節、ニュースで靖国神社の桜を見るとただ綺麗なだけではなく悲しい気持ちになる。
咲いてる花のひとつひとつに亡くなった人、その人達を思い続ける人達の想いが詰まってるみたいで。

帰りに神社の敷地内にある「外苑休憩所」に寄って会社用のお土産を探していたら、おじさんに話し掛けられる。
「さっき、遊就館にいたね」
確かに、おじさんと何度か遭遇しました。
「はい」と返事して、二言三言話したのですが、このおっちゃん昼日中から酔っ払ってました。
外苑休憩所の常連さんらしく、いつも飲んでるみたいでした。
平和な日本・・・昼日中からおっちゃんが酔っ払っていられる日常・・・何だろう、ちょっと切なくなってしまったよ・・・。

お土産が結構な荷物になってしまったので一旦、ホテルに戻り置いてから再度出掛けることにする。
ホテル行くまでの途中で「スタバ」を見つける。
田舎にはないのでついふらふらと入ってみる。
以前一度妹と入ったことがあるのですがその時は座ってるだけで妹が買ってくれました。
何というか、おしゃれというのか田舎に住んでる人間には少々敷居が高いというか・・・私にとってはね。
メニューも何かいろいろあるけど・・・よく解らないままにバニラクリームフラペチーノを注文した。
ホテルの部屋で飲んで初めてこういう味のものかと理解する。
美味しかったですよ、すごく。

2日目 その4へ続く





category: 旅行

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東京 2日目 その2  

2階の展示室へ。
2階の展示室は有料です。
大人800円、券売機で券を購入後2階へ。
2階は撮影禁止なので・・・残念

2階の展示室は戦国時代の甲冑なんかが展示されてました。
時代別に展示されていて2階は支那事変まで。
あまり興味が無かったのでじっくりと観る事はなかったです。
肉弾三勇士が着ていた軍服の切れ端が展示されていて(本当に小さな布切れ)、ひょっとしてこれ亡くなった時に着てた?とか考えたら怖くなってその場を離れました。
他には白川義則陸軍大将の血染めのYシャツとか・・・。
まだ人もそんなにいなくて広い展示室に一人は・・・怖い。
他に軍服とかも展示してありましたが、日清、日露の頃だったと思うけど軍人でも小柄な人が多かったんだなと・・・多分160cmないと思うしサイズも小さい。
靴なんかも小さくて、思わず自分の足元見た・・・私結構足が大きいんです。
軍服も靴も入らない、絶対に。

2階の展示物はさっと見て1階へ。
1階は大東亜戦争からの展示。
真珠湾攻撃で自爆戦死した飯田房太大尉の飛行帽も展示されていました、亡くなったときに被っていた物で保管していたアメリカ人から返還されたものだそうですが、当時の関係者の中では真贋が疑われているそうで。
なのでどういうものかと思ってはいたのですが、確かに綺麗ではあります、汚れも見当たらないし。
どうなんでしょうかね・・・。

海の特攻、人間魚雷回天の創案者でもある仁科関夫 海軍中尉(戦死後2階級特進で少佐)が海軍兵学校時代に書いてた日記のようなものも展示されてました。
何が書いてあるのかはいまいち解らず・・・。
このあたりから特攻に関する展示物が多くなってきて気持ちもどんよりと重くなってくる・・・。
人の命は地球よりも重いと思って生きてきた私達とは違い、死は鴻毛より軽しと言われたあの時代、自分達が死ぬ事で国を護ることができるのならと思う彼等の命が鳥の羽よりも軽いなんてことは絶対にあるはずがないのに。
夢も希望もみんな諦めて、自分が死ぬ事の意味を苦しんで考えて「家族や大切な人が暮らすこの国を護る為に」と自分で自分に言い聞かせ征く。
ある特攻隊員は出撃前夜「思い残す事は?」と聞いた戦友に「もし生まれ変わりというものがあるなら戦争のない国に生まれ変わって今度こそ教壇に立ちたい」彼の夢は教師になることでした。
夢半ばで諦めるしかなかった、夢だけでなく生きることまでも。
海兵出身の士官や予科練等、早い時期から軍に入り軍人としての教育を徹底的に叩き込まれてきた人達に比べて予備学生出身の人達は大学や一般社会で生活してきたので国を愛する気持ちは同じくらい強いものがあるけれど日本がもうジリ貧で後がない状態まできてることを冷静な眼で見て考えてそんな中で生きる事の意味、死ぬ事の意味を深く考えその分苦悩も大きかったのではないかと思います。
そんな気持ちを考えると、私みたいな馬鹿でもそれなりにいろいろ思うところがあり遣る瀬無い思いを引きずりながらその場を離れました。

展示室⑭へ。
ここが今回一番見たかったところです。
展示室に入ってすぐそれは見つける事ができました。
もう一直線。
黒革の二つ折りのお財布です。
このお財布がどうしてもどうしても見たくて遠路遥々上京したわけで・・・。
お財布の持ち主はこの方↓
無題129
菅野直(かんのなおし) 海軍大尉(戦死後2階級特進で中佐)です。
戦闘機の搭乗員です。
この方は遺言で遺品は焼却するようにと書き残していたそうでそのせいかほぼ残っていません。
数少ない遺品の中のお財布です。
二つ折りで札入れと小銭入れとカード入れがついてるごくごくシンプルな物です。
お財布の中に入っていた物も当時のまま展示されていました。
お札が数枚と大分海軍航空隊員の隊員証、配給切符。
本当に愛用なさってたのだなと。
中身がそのまんま残ってるというのが妙にリアルで・・・。
菅野大尉は昭和20年8月1日に屋久島北方で米軍の爆撃機編隊と空戦、未帰還となっています。
もしそうなってなかったらその先も使われていたであろう財布・・・。
離れ難いし写真が撮れないというのが悲しい
私自身長財布が好きではなくシンプルな二つ折りのお財布が好きなのですが今はやたらカードカードの時代だからどうしてもカード入れがたくさんあるのでないと使い難いんですよね。
学生時代は菅野大尉が使ってるようなのを使ってました、あまり女の子らしくないですが(笑)
一人旅なんてすることないだろうなと思っていた私を突き動かした菅野大尉のお財布、拝見する事ができて良かったです。

以降の展示室は戦争で亡くなった方々の写真がたくさん展示されてました。
写真は一人一人のものだけれど、写真の分だけいくつもの人生があってその人を大切に思う人達がいてまたその人達の人生も・・・残していく側も残される側もどれだけの血の涙を流したのだろう。
今だって想い続けて涙を流してる人もいるはず、その人達の終戦は自分が死ぬときまでこないはずだから。

最後の展示室は武器や硫黄島や南方の激戦地で掘り出された日用品や腕時計とか・・・腕時計なんかは持ち主はどうなったんだろうとか考えてしまった。
他には艦上爆撃機「彗星」(零戦だと思ってた・・・)、「回天」、「桜花」なんかが展示してありました。
彗星は確かに見た零戦と間違えたから、でも回天と桜花、見たかな・・・記憶がないんだけど・・・
しっかり見ないとと思っててもこういうポカをする・・・。

最後の展示室から出て、すぐ横では特別展示というのをやっていたのでそこを見てから昼食を摂りました。

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遊就館のチケットが何故2枚あるのか・・・それは7日にも行ったからです

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特別展示のパンフレット。


2日目その3へ続く



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東京 2日目 その1  

今日は私の誕生日。
それに合わせて今回の計画を立てました。
さすがにこの歳になると家族と祝うという事もないもんで。
家族が祝ってやるぞと言ってるのにこういうことしちゃうとちょっといろいろ家族間で問題が起こりそうですが。

今朝は6時半起き。
やはり枕が変ると眠れなかった・・・やることもなく暇なので早めに寝たのですが2時間おきに目が覚めた。
ゆっくり用意して8時半頃朝食を摂りに。
朝食付きのプランで宿泊してるので無料です。
小さめのパンが3種とサラダ、飲み物が数種類。
いなり寿司もあるみたいですが今日はもう出てしまったみたいです。
時間は6時半~9時半までなのですが空いてる時間を前日に聞いておいたので8時半に。
ビジネスで利用してる人が多いので7時~8時が混むそうで。
パン2個とマカロニサラダ、オレンジジュースをいただきました。
うちでの朝食と同じ感じです、朝から大量には食べられない。

9時前にホテルを出て目的地へ。

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今回の旅行の目的地 靖国神社です。
泊まってるホテルからだと徒歩5分くらいか。
時間帯のせいか通勤通学の人が割りと多かった。
でっかい鳥居にビックリだ

拝殿に参拝してから遊就館へ。
参拝時は緊張しました。

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遊就館の入り口近くには零戦が・・・実物初めて見ました。
テレビ画像では大きさなんかいまひとつ判らなかったんですが。
今から七十数年前、空で大活躍してたんだなぁ・・・。
今年、零戦の里帰りと言われ日本の空を飛びましたが、パイロットは日本人ではなくアメリカ人・・・日本が日本の為に作った戦闘機なので操縦するのも日本人でないと里帰りとは言わないんじゃ・・・と思いましたが。
軽量化に軽量化を重ね小回りの利く戦闘機に仕上がったものの、それは操縦する人の命を危険にさらすことに。
防弾仕様にはなっておらず、防弾仕様にして欲しいと搭乗員が進言しようものなら「大和魂でなんとかしろ!!」と怒鳴られたそう・・・大和魂で何とかなるなら戦争にも勝っとるわ、人の命を何と思ってるのか、こういう奴後ろからケツ御尻思いっきり蹴っ飛ばしてやりてえ

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照準器、あんなの見て機銃撃って当てるって・・・しかも相手は動き回ってるわけだし・・・。
それなりの訓練と実戦を重ねていかないと撃墜ってなかなかできないもんなんだろうなとか思った。
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コックピットの中、ちゃんと見たい、乗ってみたい。
NHKのドキュメントで乗った俳優が狭いと言ってましたが、あまり大柄だと窮屈なんだろうか・・・当時は小柄な人の方が多かったみたいですけど。

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零戦の座席。
落下傘を座席に敷いて、その上に座ってたと本で読んだ気がするのですが、それにしても硬くて座り心地が悪そう・・・座り心地が良過ぎたら居眠りの元か。

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零戦の二十ミリ機銃。

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大砲2台。
どちらも弾痕の痕が生々しい。

2日目その2へ続く

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東京 1日目 その2  

六本木の次は人形町へ・・・ちいさなおみせです。
ここも外せない。
東京メトロで駅まではスムーズいったのですが、地上へ出たときから大変なことに・・・道が解らん
自分では地図の通りに進んでるつもりなのですが、全然違う方向へ進んでた・・・道々「谷崎潤一郎生誕の地」見つけました。
別にファンでもないし作品も読んだ事はないのですが「細雪」と「春琴抄」くらいは知ってます。
東京生まれの人だったのね。
あちこち歩いてみるけど解らない。
通りかかったおばさんに聞いたけど出鱈目教えられて(地元の人みたいでしたが何か曖昧だった)、花屋の若い女性に聞いてみたけど思い切り不親切な人でした。
どうしようかと思ってたら、新築マンションのモデルルームのチラシ配りの女性がいてチラシを受け取ってから地図を見せて聞いてみたら親切な人で一生懸命地図を見て考えて「あの方向だと思います、お気をつけて」と言ってくれた。
進んだら、ばっちり合ってました。
でも、地図に載ってる「なか卯」ってなかったように思ったんですが・・・見落としただけか。

本当にこじんまりしたお店で・・・ちいさなおみせだけだからそうに違いないけど。
たくさんの人は入れないなぁと思ってしまいました。
店に入っていろいろ見る。
22cmも27cmも2~3種類髪型があったかな。
人形の箱がドールごとに並んでないので商品を探し難い。
最初は並んでるのかもしれないけど客が見るうちにぐちゃぐちゃになっちゃってるのか。
奥の方の箱は見難いし(名前が見えん)取り出し難いのでもう見なかった。
結構きっちり並んでるので奥まで探してたら箱が倒れてきそうで。
売れ筋はマリーンみたいです、探してるお客さんがいたけどお店の人が在庫もほとんどないんですと言ってた。
マリーもほとんど見なかったように思います。
物腰の柔らかい男性店員さんで解らない事なんか聞きやすくていいかも。
ドレス類もあまり数がなかったし品薄気味な時期に当たってしまったか・・・日曜の夕方だったし。
お店に着いたのは17時前頃でその時は女性客が一人だけでしたが後から子供連れや男性客が立て続けに入ってきました。
ESCみたいなお人形が10対前後くらいセール品として売られてました(ロベリア2体、ティモテ1体、エリー1体だけは記憶してます)。次はいつ来れるか判らないから自分としては結構買い物してしまった・・・ここでの買い物が後になって・・・

買った物。

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エクセリーナ。
髪型があまり好みではないのでいつか変えちゃうかもしれません。

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左から、みらい、サユリ、マリー。

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日本橋リカちゃん。

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22cmドレス。
日本橋リカちゃんのドレスはピンクが欲しかったけど売り切れてました。

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27cmドレス。
ドレスは結構割高です。

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小物いろいろ。

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塗装された靴。
値段も割りと高めなのでケース入り。

ちいさなおみせを出て次は今日泊まるホテルへ。
東京メトロで九段下へ。
ところで東京メトロ・・・何?地下鉄だったんですね・・・。
都会は便利、目と口と足があればきっちり目的地の最寄り駅へ行ける、そこから先は自分次第ですが。
今日明日泊まるホテルは京王プレッソイン九段下です。
旅行の予定を立てたときに、まず一番行きたい場所の近くのホテルをとると決めてました。
移動時間がもったいないので徒歩で移動できるホテルをと。
いくつかあったのですが口コミが良かったのと料金が一番安かった。
ここに決めて後は調べてみたら自分が行きたいところに全て便利に行ける事が判ったので、行き場所の順番を組んで予定を立てる。
おみくじにも無理な予定を立てなければ良いとあったので無理な予定は立てませんでした。
ほんとはあそこにもここにもって思ってたんですけどね。
地下鉄から地上へ出て歩き始めたのですが、ホテルがない・・・通り過ぎてました
戻って、ホテルに入りチェックイン。
19時だと連絡してあったのですが着いたのは18時、早いけれど大丈夫ですかと聞いたら15時以降ならいつでもいいとのことでした。
先送りしてあったキャリーケースとカードキーを受け取って部屋へ・・・せ、狭い・・・ベッドとテーブルの間が椅子をひいて座れるギリギリの幅でした。
ベッドがセミダブルでした、まぁ寝るだけなので充分か。
送った着替えをハンガーに吊ったりして、キャリーケースを広げたら足の踏み場もない感じ
しばらくテレビを見ながらぼんやりと・・・暇。
〝晩御飯どうしよ〟・・・東京駅で駅弁でも買っといてホテルで食べるかなと思ってたのですが気分が悪くてすっかり忘れていた。
ホテルを出てプラプラ歩くがどこも休み・・・オフィス街だからか日祝が休みの店ばかり。
ロイヤルホストがあったので入る、あまり食べたいと思うものがなく、ドリアを注文。
コンビニだけはやたらたくさんある、ローソン、ファミマ、セブン、サークルK(あったような・・・)、ミニストップ。
そう、ミニストップだけは私の住んでる地域にはないのです・・・CMで見るデザートの美味しそうなこと。
デザートはミニストップに決めてGO!!
練乳いちごパフェ買いました。
時計を見たら20時前、「真田丸」を見たいので急いでホテルに戻りました。
後はお風呂と寝るだけです。
眠れるか・・・。

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東京 1日目  

朝9時前に家を出る。
イベントの時に比べるとゆっくりとした出発。
父が休みだったので駅まで送ってもらいました。
父には破格の食費と猫の世話を御願いするので食費とは別にお金を。
親子といえどもお互いが気持ちよく過ごすには・・・お金で済ますことのできることはお金でという考えです、私は。
暑い日が続いてたので当然今日も暑いだろうと思い凉し気な服を用意していたのですが気温21度・・・少し寒い・・・。
Tシャツの上に薄手のパーカーを羽織って出掛ける、父は「それ仕事に行く時の格好と変らんやんか・・・」と呆れ顔。
一応、少しは考えはしたけどもう面倒になってしまって。
着る物の予定も狂い、適当な服で初めての一人旅は始まりました。
新大阪まで特急で行くのですが、指定席を取るか自由席かで悩んだのですが、職場で一人旅をよくする人が「自由席で大丈夫」と言ってたので自由席で。
発車まで10分くらいしかないのに券売機でもたもたしてる人がいてイライラさせられる。
タッチ画面だとよく解らない人がいてこういう人の後ろだとついてないなぁと。
ギリギリ間に合って乗れましたが、自由席混んでるやん・・・
何とか空いてる席を見つけて座れましたが車内放送で今日は混んでるらしい事が判明、普段はそうでもないんだな。
1時間15分程で新大阪に到着。
何かと不安なので新幹線の出発時刻より50分程前に着く様に出たので当然待ち時間はいっぱいある・・・駅弁ばかり売ってる店を覗く。
何か買おうかと見るけどたくさんあり過ぎて目移り、散々迷って・・・「神戸のすきやきとステーキ弁当」1200円に。
11時50分発ののぞみに乗って一路東京へ。
普段なら乗り物に乗ったらすぐに寝てしまうのですが緊張のせいか眠くならない、お弁当を食べる、不味くはないけど特別美味しくもない、肉料理は出来立てが美味しくお弁当には向いてないのではないかという私なりの結論・・・。
少ししたら同じ姿勢で長時間座っているせいか肩から背中が痛くなってきた、慌てて痛み止めを飲んだけどあまり効いてくれなくて気分まで悪くなってくる・・・最悪
14時半より少し前に東京駅に到着、肩から背中にかけて痛いし胸はムカムカするし、それでも予定はこなしたい。
それと暑い・・・パーカーなんかいらんやないか・・・今更脱いだら荷物になるので我慢して着続ける

東京メトロで六本木へ・・・六本木ヒルズの方向へ行くけどヒルズは通り過ぎて・・・目的地が近付くにつれて胸がドキドキしてくる、乙女か?・・・到着・・・専称寺。
東京へ行くのならここだけは絶対に外せない・・・新撰組・沖田総司の墓所です。
ここに来るまでにン十年かかってしまいましたが、やっとやっと来れました。
でも直接お墓に御参りはできません。
毎年6月(今年は19日)に行われる総司忌の日にしかファンにお寺は開放されないのです。
それ以外の時は塀の外からです。
お寺の横道からお墓の方に周りました。
そっとお墓をのぞくと屋根のついた小さなお墓がありました。
今までは写真でしか見た事がなかったのでいまいち距離感が判らなかったのですが思ったより近くなので驚きました。
これなら近くまで行けなくても沖田さんには分かる。
お墓の前の水桶には花束がいくつか入ってました。
枯れたものもありましたが新しいものもありました。
気がついたら涙がこぼれてました、年取ると涙脆くなるのは解ってましたが、お寺の手前から胸がドキドキとか沖田さんを好きになったまだ少女だった頃の自分に戻っていたことに自分が一番驚いたというか・・・。
もう本当に大好きでね、美男とかそうでないとかそんなことは関係なしに。
今では笑い話になってますが、沖田さんが亡くなったのは25歳、その年齢を超えてしまうのがどうしても嫌で我慢できなくてどうかそれまでに死ねますようになんて思ってましたから、親不孝なガキでした
母には「この子は好きな人の為やったら死ねるし親も棄てられる子やで」とよく言われました。
幸いというか不幸にもというかそこまで愛する人がみつからなかったというか
〝少女だったのに今はこんなおばさんになっちゃってすいません〟と謝りつつ手を合わせました。
妹にメールしたら「おばさんになっても変わりなく会いに来てくれたこと喜んでるよ、沖田さんは」とまた泣けるような返信が返って来ました。
そうだといいな、多分そうだな年季だけは入った想いは届いてる、きっとね。
我が家では何故か知り合いみたいに、沖田さんと呼ばれてる
でも思ってたより小さいお寺で、お墓もそんなにたくさん建ってないところでした。
前の住職さんが亡くなった時点でお寺としてはもうファンは一切シャットアウトしたかったようです。
それを交渉して年に1回だけという条件で墓参を許していただいてるとのことで。
確かにあの規模のお寺で年中ファンに墓参を許可していたら、他の檀家さんにも迷惑かかるでしょうね。
檀家さんがお参りに来てもいつも誰かがいたら落ち着いて先祖と話もしてられないだろうし。
もう昔、文通していたお姉さんがいてその人が塀の外からお参りしていたら、他家の檀家さんが偶然お参りにきて「一緒に入って直接お参りしていきなさいよ」と言って下さりお参りできたと喜んでいましたが、余程ラッキーでないとそんなことは起こらない。
離れ難いけどあまり長居しても不審者と思われそうなので、お寺を後にしました。
いつかはと思いながらやっと念願叶い、何かホッとしました。
行く道中肩が痛い気分悪いとずっと思ってたのですが、帰りは肩と背中の痛みはなくなり気分も胃の辺りに違和感はあるものの悪さはなくなっていたのでした。
お天気と体調はいまひとつでしたが、気持ちは何か晴々としたような。

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曇ってるからか撮影者の腕が悪いからか・・・専称寺。
門が開いてる時もあるみたいですが、今日は閉ざされてました。

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小さなお墓です。
屋根は後年作られたそうです、経年での傷みを防ぐ為か。
当時は新政府軍がすっかり幅を利かせていた為、墓石には沖田総司という名前を刻むこともできず幼名の沖田宗次郎になっています。(この話を本で読んだときは、可哀想で悔しくて泣けましたね)
勝てば官軍負ければ賊軍で、戦争で勝てば勝者が幅を利かせるのはいつだって仕方ないことですが、どちらにも信念というものはありその為に戦うのにどちらが間違っててどちらが正しいというのはないと思うんですけどね。
お寺だけでなく沖田さん自身も後年こんなにファンができてしまうなんて考えもしなかったことでしょう。

続きはその2へ

category: 旅行

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初めての  

明日から2泊3日で東京に行ってきます。
人生初の一人旅です。
私、この世で我が家が一番居心地のいい場所だと思っててそこ以外のどこかへ行こうとかあまり考えたことなかったんですよね。
学生の頃も、うちは友人の家であろうと泊まりに行く事は許してもらえなかったので、泊まるのは祖父母の家か結婚した姉の家、親類の家くらいのもので・・・おかげで修学旅行なんてまるで環境の違う場所に放り込まれたら全然眠れない。
まぁ今は年取って多少図太くなってるので大丈夫だと思いますが。
今年の初詣でひいたおみくじに背中を押されて少しずつ準備を進めてきました。
行き先はいろいろ考えて、最初は愛媛の松山を第一候補にしていたのですが行きたいと思ってる場所が少し交通の便が良くないので初めての一人旅ではちょっとハードルが高いのではないかと思い東京にしました。
東京は交通の便もいいし口と足があれば大丈夫だろうと。
行きたいところの地図を印刷したりして、携帯は画面が小さくて見えない。
スマホではないので。
出発が近くなってくるとお試しにもう少し近場で良かったんじゃないかとか思い始める…。
何せ全てが初めてなもんだからホテルの予約は?新幹線の切符?チェックインはどうすんの?と?の嵐。
家族旅行なんてほとんどしなかったし、しても全てが親任せだったもんだから。
用意するだけで行った気になって疲れた…。
緊張で胃まで痛くなる始末…。

初めは交通費を浮かせる為にバスを利用するつもりでしたが父に反対され新幹線に。
バスで行こうかと思うと言う前に「バスはあかん、バスで行くなら反対」と。さすが親やね、娘の考えてることはお見通し。

ホテルの予約は4月の初旬に。
早過ぎかとも思ったけど5月の初旬だともう空きがなかったので早過ぎということはなかったみたいです。
一泊なら大丈夫だけど連泊は早めがいいかも。
新幹線とのパックがお得でいいと聞いていたのでいろいろ調べてはみましたが、あまりお得感はなく新幹線は新幹線ホテルはホテルで取った方が私の場合は料金も安かったです。
新幹線は一ヶ月前に。
一番悩んだのはキャリーケース。
妹は便利だと言うが電車なんかでは置く場所に困るという話も。
会社で話したら「ホテルに先に送ればいいねん」と同僚のおばちゃん。
送れるのか…解決。
次は買うかレンタルするか。
そうまめに旅行するわけでもないので今回はレンタル。
2日にホテルへ発送。
送っても当日まで必要な物もあるしボストンバッグを持って行く。

無事に過ごせますように。

category: 未分類

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キャッスル サヤカ  

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4月16日LC神戸で購入したESCサヤカです。
眉と瞳の色が気に入って購入。
リップとチークの色があまり好きではないのですがこれはリトファ塗り替えすればいいので。

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ロールが結構緩んでます・・・。

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ドレスはmomokoの物です。
スカートは長期間、穿かせたままだとかなりの高い確率でボディに色移りするんじゃないかと思ってる。

category: サヤカ

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