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「大河巡る~生まれ変わっても忘れない~」「特攻志願」②  

「大河巡る」が終わった後は5分ほど休憩時間があって次の「特攻志願」、今日はこっちが本命です。
30分もない短編映画ですが実話を基に作られています。
大東亜戦争末期の悲話です。
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藤井一陸軍中尉の家族の3日間の物語です。

人間には個人を越えなければならない時がある、故郷の為、愛する者の為というような言葉でこの映画は始まります。

藤井中尉は熊谷陸軍飛行学校に勤務し、中隊長として少年飛行兵に精神訓育を行っていました。
厳しいけれど温かい人柄は生徒から慕われ信頼される中隊長でした。
飛行学校ですから戦争末期になると、特攻に出される生徒も出てそれを送る側の藤井中尉は教え子だけを行かせていいわけがないと特攻志願しますが、優秀な教官である藤井中尉の特攻志願は認められることはなく却下されていました。
特攻・・・一度出撃すれば生きては帰れません、生徒達にも志願するかしないかの紙が配られ決断を迫られます。
一人の生徒は特攻なんか間違ってる自分たちは戦闘機乗りに憧れて日々厳しい訓練に励んできた、それをたった一度の攻撃に使われるなんて嫌だと言います。
それと死ぬことの意味が解らないとも。
この生徒は結局志願しない選択をしました。
藤井中尉も家に帰れば2児(3歳と1歳の女の子)の父親です。
家庭では良き夫良き父親ですが、この日妻に自分が特攻に志願していることを告げます。
自分の気持ちを全て話し妻の答えを待ちます、夫の告白に一瞬動揺して言葉が出ないようでしたが、少しして静かに一言「はい」と答えただけでした。
次の日、飛行学校では生徒が教官(藤井中尉ではない)の前に整列させられ、教官は「この中に特攻を志願しない奴がいる」と怒鳴ります。
前日に特攻に不満を洩らしていた生徒が「自分であります」と一歩前に。
教官は「何故志願しない?」と詰問、生徒は「(征く事の)意味が解らないからです」と答えます。
教官は生徒を殴り、「意味が解らないなら教えてやる、お前達が征く意味なんてただ爆弾抱えて突っ込んで死ぬことだ」・・・こういう映画やドラマって必ずこんなのが出てきますが、マジ、ボコボコに殴ってやりてえと思います。
そこに藤井中尉がやってきて教員を部屋から出し、生徒達に言います、「特攻は統率の外道だ、だが特攻をすることによって講和の条件を少しでも有利に持っていくことができる、だから征くんだ」熱く語る藤井中尉に生徒達は感動し特攻を拒否していた生徒も「意味」を見出します。
元々、生徒たちの憧れでもある藤井中尉だからこそ納得させることができたのだろうと思うけど。
その日の夜、「明日から週番司令として一週間の(泊まり込んでの)勤務だ」と妻に話し、次の日の朝を迎えます。
家を出ようとする、藤井中尉の後ろ姿に妻は「待ってます」と言います、振り返った藤井中尉にもう一度「待ってます」と。
家を出た藤井中尉は振り返り少し怪訝な表情をしますが、いつもと変わらぬ妻の姿を見て歩き出します。
遠ざかる夫の姿をいつまでも見送る妻の瞳から一筋の涙が流れ、「一足お先に逝って待ってます」と心で別れを告げたのでした。
娘二人に晴れ着を着せ、自分も身支度をし12月の寒い荒川の川辺で1歳の千恵子をおんぶして3歳の一子の体と自分の体を結び入水しました。
同僚が警察からの電話を受け、藤井中尉に妻子の入水を告げて、共に荒川の川辺に行きます。
遺体には筵が掛けられていました、そっと捲ると妻と子の顔が見え妻の頬には砂が付いていて中尉はそっと払います。
背中を震わせ悲しむ藤井中尉の姿を同僚はただ茫然と立ち尽くして見ているしかありませんでした。
その夜、妻子の遺体の横で藤井中尉は血書での志願書を書きます。
受け取った校長は「こんなことになった以上、ここでこのまま勤務させておくことはできない鉾田(ほこた)に転属して特攻隊長としての訓練を受けるように」志願は受理されました。
転属する日、生徒達から中尉に軍刀が贈られます、生徒達がお金を出し合って買った軍刀でした。
「見送る側だったのに今度は見送られる側になったな」と言う中尉に生徒達は「自分達も後から征きます」と。
鉾田に転属した藤井中尉は特攻隊長としての訓練を受け、そして5月27日第四五振武隊 (快心隊)と名づけられて知覧飛行場に進出、5月28日早朝、第九次総攻撃に加わり部下を率いて沖縄へ出撃、藤井中尉は小川彰少尉が操縦する機に通信員として搭乗、250キロ爆弾を二発懸吊し、隊員10名と共に沖縄に向けて飛び立ちました。
そして「われ突入する」の電信を最後に、妻子の元へ旅立ちます。
終戦の僅か2ヵ月半前、妻子が荒川で命を絶った日から五ヵ月経っていました。
享年29歳。

知覧の富屋食堂を訪れたであろう藤井中尉について、鳥濱トメさんは年長の物静かな人がいたという以外にとくに印象がなかったそうです。
戦後、藤井中尉にまつわる話を聞いたトメさんは、涙が止まらなかったとのこと。


時間が30分もない短編映画だった為、肝心の部分はすっ飛ばした作品でした。
もう少し時間が長ければもっと話が掘り下げられて良かったんじゃないかと思いましたが。
映画では奥さんは夫の言う事に何の反論もせず従順に描かれていましたが実際は夫婦間で戦いが繰り広げられたようです。
夫の志願を聞かされた妻は寝耳に水、当然反対します。
妻のふく子さんは毎日必死で藤井中尉を説得、泣いて哀願もするけれども夫の意思は変わらない、とうとう夫婦喧嘩にまで発展します。
妻からしたら自分と子供がいながら何故志願するのか、理解できないし許せないという気持ちがあったのかもしれません。
確かに、教官ですし正直そこまでする必要はないと思いますが、その反面この奥さん軍人の妻には向いてないのではないかとも思います。
藤井中尉が担当していたのは「精神訓話」軍人勅諭にそって軍人精神を徹底的に叩き込む教科です。
特攻作戦が始まる以前から、「事あらば敵陣に、敵艦に自爆せよ。俺もかならず行く」が口癖でした。
実際、言うだけの教官はなんぼでもいただろうけど教わる側は口先だけかそうでないかは見抜いてただろうし、藤井中尉はそういう教官ではないから生徒からの信頼や憧れは絶大だったのだと思います。
妻としては夫の性格は理解していただろうけど、まさか志願までしていたとはというところだったのかな。
二人は恋愛結婚です、藤井中尉は農家の7人兄弟の長男ですが陸軍に入隊を希望します。
歩兵として優秀だった藤井中尉は、推薦を受けて転科し、陸軍航空士官学校に入校します。
そして卒業後、熊谷陸軍飛行学校の中隊長(教官)に任官。
学校は航空学校ですが、藤井中尉は歩兵科機関銃隊だった頃、支那の戦線で迫撃砲の破片を左手に受け、操縦桿が握れないのでパイロットではありません(なので特攻時は通信員として搭乗)。
支那で負傷した時に野戦病院で看護婦をしていたふく子さんと知り合います。
ふく子さんは商家の三女でお嬢さん育ちですが気丈な女性であったようです。
ふく子さんにしたら、夫は腕の怪我があるから操縦桿は握れないしパイロットになることはない、転科したから歩兵として戦線に行くこともない、それだけで戦死する可能性なんて限りなく0に近いとどこかで安心していたのかもしれません。
愛する夫を失いたくないから必死に説得したけど、夫は結局生徒との約束を守って死ぬという意思を変えないことに絶望したのだろうなと思う。
ふく子さんが夫に遺した遺書には「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、存分の活躍ができないことでしょう。お先に行って待ってます」というようなことが書かれていました。
軍人の妻なら「あなたが亡き後子供達をしっかり育てて生きていきます」と言ってあげる方が後顧の憂いにならないと思うのですが・・・。
「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、存分の活躍ができないことでしょう。」の裏には「私たちはあなたがいないと生きていけないので死ぬことにしました」という奥さんの本当の思いが透けて見えるような気がします。
それだけ夫に対する愛情が深いわけですが、どこか、自分達より己の生き方を貫く夫に対する怒りのようなものも感じられるような・・・。
葬儀が終わった後、藤井中尉が長女の一子ちゃんに書いた手紙が遺されています。

「冷え十二月の風の吹き飛ぶ日
荒川の河原の露と消し命。母とともに殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、一足先に父に殉じた哀れにも悲しい、然も笑っている如く喜んで、母とともに消え去った命がいとほしい。

 父も近くお前たちの後を追って行けることだろう。
 嫌がらずに今度は父の暖かい懐で、だっこしてねんねしようね。
 それまで泣かずに待っていてください。

 千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。

 ではしばらく左様なら。
 父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。

 では、
 一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待ってて頂戴。」
この手紙の中でふく子さんについては最初に触れられているだけです。
それも娘を通しての母という存在のみ。
その不自然さに藤井中尉の奥さんに対する怒りが感じられるのは私だけ?
恋愛結婚だからお互いの気持ちが盛り上がれば結婚に行き着くのは自然な流れだから仕方ないにしても、奥さんが商家の出ではなくて軍人家庭のお嬢さんだったら違う結果になっていたのではないかなぁと。
確かに悲話ですが、あの世で夫婦が再会した時こそがそれこそ修羅場なんじゃないのとこの話を知った時から持ち続けてる私の感想。

確かにあの頃は個人というものよりも、自分を取り巻く大切なものの為に生きて死ななければならないことが優先される時代だったのだろうけどそれを貫く為に大きな代償を支払うというのはどうも本末転倒なのではないかと思わずにはいられない。






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「大河巡る~生まれ変わっても忘れない~」「特攻志願」 ①  

人生で初めての映画館貸し切り状態で観ました。
私一人が観客でした、一人きりだと暗くなったときちょっと怖かったかも。
でも人目を気にせず涙を流せたので一人映画鑑賞も悪くなかったです、考えたらすごく贅沢ですよね。
本来貸し切りにしようと思ったら座席分のお金払わなきゃならないんですから。
始まるまでには他のお客さんも来るだろうと思ってたのに全然だったので、それに今日は割引デーで料金も安かった。
大阪まで出てるので交通費やらはかかってるのでラッキーでした。

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この作品はパンフのない作品だったのでチラシのみで。

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3作のオムニバス作品と短編映画がセットになってました。
短編の方の「特攻志願」を観たくて大阪まで出てきたのですが、「大河巡る」も良かったです。
「大河巡る」の1作目「夢幻」は何か話の内容が変で何じゃこれ状態でしたが、2作目の「さつまおごじょ」と3作目の「陽は落ちる」は良かった。
「さつまおごじょ」は知覧で特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんと娘礼子さん、礼子さんの息子の話でした。
トメさん役が伊藤つかさで、「あの伊藤つかさがもうこんな役をやる年になったのか」と
話の中心は娘の礼子さんでしたが、戦後20年が過ぎて結婚して知覧を離れている礼子さんの元に生き残った特攻隊員の方がたが集まって毎晩宴会状態。
最初は少ない人数だったのが徐々に増えて10人を超えてしまいます。
その人達が毎晩集まって飲んだり歌ったりですから、近所からの苦情や、礼子さんの夫からも文句が出る始末。
最初は訪れを歓待していた礼子さんでしたがだんだん重荷になって、断るにはどうしたらいいのか相談するのに知覧に帰省します。
母のトメさんは戦後も礼子さんのお姉さんと共に変わらず食堂を続けています。
悩みを打ち明ける礼子さんにトメさんは言います「あの頃征きたくて特攻に征った人は一人もおらん、そんな人達の母親になってあげようと私はお世話してきた、礼子はあの頃の事を忘れてしまったの?」。
その言葉で礼子さんは思い出します、戦時中のある日特攻隊員の一人が礼子さんに「将来は何になりたいの?」と質問します、礼子さんは「お母さんみたいにお店をやりたい」と答えます。
特攻隊員は笑って「それはいいね」と言いますが、最後は「礼ちゃんのお店にいってみたいけど・・・」と小さな声で呟きます、その隊員には自分に未来がないことは解っていたのだと思います。
トメさんは言います「今度は生き残った人達のお世話はあなたがしなさい」と。
礼子さんは生き残った隊員たちがいつでも集まれるようなお店を開く事にしました、その為には忙しくなるからと息子の潤をトメさんに預けます。
潤に特攻隊員の事を知ってもらうにはここ知覧で育てるのが一番良いと言ってましたが、そこまでしなくてもと思わないでもなかった。
礼子さんは「さつまおごじょ」という店を開き生き残った元特攻隊員が気軽に集まれる店になってるわけですが、酔うといろいろと本音が飛び出すことも。
「靖国で会おうと誓って、門のところで待ち合わせ最後の一人が来てから一緒に中に入ると言ってたのにまだ待たせたままだ」「あの頃は軍神だと言われてたのに戦後は特攻崩れと蔑まれてきた、いっそ自決したほうが良かったんじゃないかと思う、生きてていいのかと」「死んでいった戦友の事も特攻の事も自分達が死んだらいずれこの国の人達から忘れられてしまう」。
自決したほうが良かった云々は別としても、自分は生きてていいのか、戦友は靖国で自分の席を空けて待っててくれるだろうかというのはあの時生き残った方々の共通の気持ちでありまた苦しみの一つでもあるようです。
礼子さんは、「あの時命を懸けて特攻に征った人達のおかげで今の平和な日本がある、戦後焼け野原になった何もないところから貴方達が頑張ってくれたから今の復興を遂げた日本がある」と言います。
母娘2代で特攻隊員の心の拠り所となったわけですが3代目になるはずの潤は知覧で育てられたにもかかわらず、立派とは言い難い息子に成長、手持ちのお金がなくなったから母礼子の店に顔を出します。
時代とともに料理器具もいろいろと便利に進化を遂げてるわけですが礼子は昔と変わらないやり方でトメから教わった郷土料理を作り続けていました。
潤がやり方変えればいいのにと言いますが「昔と変えてはいけないものだってあるのよ」と礼子は答えます。
潤は店は継がないつもりでしたが、後に礼子は癌を患い店の階段も登れないほどの体調になって入院2ヶ月で亡くなります。
そんな母の姿を見て潤は店を継ごうと決めます、潤が店を継いでからも年月が経ち客層も変わりましたが料理は昔ながらの作り方を変えてはいませんでした。
「薩摩おごじょ」は実際にあるお店で、今は本当に潤さんが経営しています。
ほぼ実話ですね、潤役は和泉元彌が演じてました。
戦時中の話は今は潤さんが語り継いでいるようです。
礼子さんが言ってた、「あの時命を懸けて特攻に征った人達のおかげで今の平和な日本がある、戦後焼け野原になった何もないところから貴方達が頑張ってくれたから今の復興を遂げた日本がある」という言葉は私が母からよく言われていた言葉でもあります。
「あの戦争で戦ってくれた人達がいるからあんたは今の平和な日本で暮らしていられる、戦後頑張ってくれた今のお年寄りは大事にせなあかん」と。
自分達は生きてていいのだろうかと言う言葉には私は生きていて下さって有難うございますと思う。
戦後手のひらを返したかのようなつまらない人達の言葉に傷つけられ、もう何も言うまいと一時は口を閉ざしてしまった時を経て少しずつ当時の事を話して下さる方も出てきて特攻というものの本当の姿が世間の人にも解るようになった。
戦後命令した側の人間が書いた本には自分達を正当化する為に彼らは志願して笑って征ったなどと書かれていた。
薄っぺらい人間が書いた薄っぺらいものがまるで真実かのように独り歩きしては、亡くなった人達は浮かばれない。
薄っぺらい人間は恥ずかしいという感覚まで薄っぺらいのだなと思う、嘘ではなく本当に喜んで征ったと思ってるとしたら上に立つ者として資格も何もあったもんじゃない。
人間は機械ではない、仮にその時笑っていたとしてもそこに行き着くまでの苦悩は計り知れないものがあるはずだと思う。
そんなに悩まなかったなぁという人もいれば出撃してからもまだ心が揺れていたという人もいるそんなことも話して下さったからこそ知る事のできる本当の真実。

「陽は落ちる」は江戸時代の話。
夫が仕事で失敗を犯して切腹になるのですが、妻が最初から夫が切腹するその時まで気丈。
武士の妻の鑑やなというような人なのです。
夫の親友が切腹を告げる使者から介錯までを務めるのですが、その親友に夫は自分の死後妻と息子の行く末だけが気掛かりなので心の片隅にでも留め置いてほしいと頼みます。
親友には子がなく跡取りがないので、どうか自分の養子にくれと頭を下げます。
親友の家に養子に行けば妻も会いに行くことができるし、夫は喜んで親友の申し出を受けます。
家老が切腹に立ち会うにあたり妻に何か望みはないかと尋ねます、妻は「(切腹は刀でなく)扇子腹でお願いします」と言います。
扇子腹はあまり誉められた方法でないので家老は難色を示しますが「夫は一文字どころか十文字にでも切ることができますがその際血が飛んで御家老様の御召し物を汚すようなことがあってはいけませんので」と妻は答えます。
家老は承諾しますが、妻が扇子腹を希望したのには理由がありました。
夫は役職に就いた祝いにと妻が送った扇子を愛用しており、前日に「この扇子も共に(あの世に)持って行けたらなぁ」と呟くように言ったのを妻が聞いていたからでした。
切腹の場に臨んで、刀でなく扇子が出てきたので夫は?と思いますがそれが妻からの贈り物の扇子だと判り夫は心静かにその時を迎えたのでした。
親友を演じてたのは和泉元彌でしたが介錯の後涙を堪える顔が何とも悲しく、もらい泣きしたのでした。
夫の切腹が終わり、息子も親友と共に去って誰もいなくなった夕陽の差す屋敷に放心したように座っている妻。
傍には夫が切腹に使った扇子が遺されていました、妻はそれを手に取り引きちぎると、突然夫と子の名を叫んで屋敷を探し回り最後は引きちぎった扇子を抱いて号泣します、気丈な妻の心の糸が切れた瞬間でした・・・その妻の姿で作品は終わります。

3作中、1作目と3作目は後味の悪い終わり方で2、3作目には泣かされました。
和泉元彌が意外と良かったなぁと思ったのと3作目の妻役の竹島由夏という女優さんが良かった。
1作目の作品があまり意味のない内容の物だったので2、3作目だけで良かったんじゃと思ってしまった。
3作とも出演者はほぼ被ってましたが話自体には繋がりはない。

続く



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「人間爆弾「桜花」ー特攻を命じた兵士の遺言ー」 2  

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手前が森忠司中尉(昭和20年4月6日戦死)、奥に写っているのが西尾光天中尉(昭和20年4月7日戦死)
写真をじっと見てて今気付いたのですが、これサイドカー付のバイクに乗ってる写真だったんですね・・・今更。
今年の2月に筑波海軍航空隊記念館で撮ってきたものです(元写真は中根久喜中尉のアルバムより)。
映画では当時自分が思ってたことなんかをポツリポツリ話す以外に林大尉の口から名前が出たのが西尾中尉とみさこさん(馴染みの芸者さん)だけでした。(私が記憶してる限りでは)
西尾中尉の事は映画で林大尉が話していましたが、森中尉は林大尉の手記の中に出てきます。
中根中尉のアルバムには森中尉の写真が割と多く遺っていました。
西尾中尉は中根中尉とは日大の同級生、神雷部隊でも交友がありました。
当時西尾中尉には妙子さんという恋人がおりその人と結婚式をする為に隊を抜け出します(隊長である林大尉は知ってて知らぬふりをしてくれてるのですが)。
これは違反行為です。
その結婚式の立会人が中根中尉と安井三男中尉で3人は寒風激しい中自転車で妙子さんが働いている木内旅館(千葉県香取市)まで走ります。
当時彼等がいたのは神ノ池基地(茨城県鹿嶋市)距離にして22㎞位?今なら車で30分位、自転車だったら1時間はかからなそうですが・・・今の私達より足腰はかなり強いと思われるので。
寒さ厳しい中今みたいに暖かい下着もないのに相当寒かっただろうなと想像してみる。
中根中尉と安井中尉は、もう残された時間が少ない西尾中尉と妙子さんの為に一肌脱いだのでしょう。
木内旅館に着いた後、西尾中尉と妙子さんは三々九度を済ませ床入りになるのですが二人は布団に入って手を握り合って目を閉じました。
しばらくして西尾中尉が目を開き「よし、これで済んだ。安心して征ける」と納得した口調で呟いたそうです。
呆気に取られた中根中尉と安井中尉が「おい西尾、こんなんで本当にいいのか」と問いただしても「いいんだ、いいんだ」と西尾中尉は取り合わなかったそうです。
その間妙子さんは布団の襟に顔を埋め、嗚咽を堪えていたそうです。
実際、林大尉が西尾中尉と妙子さんの事をどこまで知ってたのかは知りませんが、西尾中尉について遺っている話です。
西尾中尉の戦死後妙子さんはどうしたのかは書かれていないのでその後は判りませんが、こういう話を読むたびに思うのは一人の方が戦死した陰でどれだけの人間が泣くのか。
特攻は統率の外道だと言い、戦後責任とって自決した人がいましたが、この人の命くらいで贖うことはできないだろう罪です。
本人は責任をとったつもりでしょうが、口では大きいことを言いながら戦後知らん顔して恥ずかしげもなく生きた人間よりは少しマシという程度の事です。
人にはそれぞれ立場がありそれぞれの苦しみがあるだろうけど、踏み越えてはいけない一線というものがあると思う。
それを踏み越えてしまったら、最初のうちは苦しむかもしれないけどいずれその感覚も麻痺して行け行けドンドンになってしまう。
人間に捨て石捨て駒という言葉は当てはまらないはずがそうなってしまう。
全ての責任は自分が負うなんてかっこいいこと言ったって、死んだ(この場合は殺した)人やその人を大切に思う人の人生までどうこうできないだろ。
生き返らせて待ってる人の元へ帰す魔法でも使えるなら大口叩いてもらっても一向に構いませんが。

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中学生の頃の林大尉。
この方、童顔なんですかね、下の集合写真で見た感じこの頃とあまり変わらないような。

桜花 士官集合写真
映画で出てきた集合写真です。(中根中尉アルバムより)
クリックで大きいサイズになります。
一列目右端が林富士夫大尉。
二列目左から8番目西尾光天中尉、左隣が中根久喜中尉、西尾中尉から一人置いて大橋進中尉。

神雷部隊には他の部隊にはない4つの特徴があるそうです。
①人類史上初めて体当たりを前提として設立された航空隊である。
②人間爆弾「桜花」を実戦で使用した唯一の部隊である。
③零銭に500キロ爆弾を搭載した体当たりを行った(他の部隊では250キロ爆弾を使用)。
④海軍特攻を象徴する部隊として最多の特攻戦死者を出した部隊。
林大尉はこの特徴全ての事に関わりました。
③については零戦に500キロの爆弾を搭載については搭乗員は懸念を示したそうです。
零戦の搭載量は最大で700キロ程度なので500キロ爆弾の搭載は可能ですが、250キロ爆弾搭載時よりは当然重くなるわけで離陸が難しくなり、出撃するだけでも相当な技量が必要とされたそうです。
エンジン出力を全開にして離陸しても速力がつかず機は上昇力に欠け、飛行場いっぱいを這うように飛行してもなかなか浮上せず50mほどの高度をとるのにも時間がかかったそうです。
実験では成功したそうですが(技量がある搭乗員だったので)、実際搭乗する人のほとんどは飛行時間も少ない人達だったと思われるので結果としてはどうなんでしょう。
搭乗員の不安感を払拭する為に林大尉が800キロ相当の物を搭載して飛行実験して成功させたそうですが、実際は重い爆弾を搭載して沖縄まで飛ばなければならないし、途中で敵戦闘機に待ち伏せされたり、敵艦の上空まで辿り着いたとしてもまたそこから対空砲火を避けてと二重三重の難関を突破しなければならないわけでそんなことを考えたらとてもじゃないけど突入なんて不可能になる。
相当な技量を持ってても成功させるのは難しい気がします。
林大尉の心意気は立派なものだと思いますが。
やれと言われればやるしかなくて不満も怒りも飲み込んで征かなければならなかった搭乗員の方達の事を思ったらやりきれない。④については部隊の特攻戦死者が多いのは桜花を抱えて飛ぶ陸攻の搭乗員が多いからだと思います。

当時林大尉には馴染みの芸者さんがいて、せっせと逢いに行ってたそうですが、その手段がちょっとどうかと・・・往復陸攻に乗ってということで(林大尉だけではないですけど)、インタビューしてた人も驚いて「(そんなことに陸攻使って)いいんですか?」と聞いてましたが「あの頃は芸者を乗せて基地に呼んだりした」と・・・ガソリンも不足してた時にそれやるかと・・・下士官兵は「ガソリンも血の一滴」と言って頑張ってたのにそれしたらあかんやろと。
日本は下士官兵が優秀だけど上にいくほどそうじゃなくなるというのは本当だったんだなと思ってしまいました。
赤裸々に語って下さったのは有り難かったのですがこの話は別に話さなくても良かったんじゃ・・・

筑波海軍航空隊記念館に建っている慰霊碑の碑文を書いたのは林大尉だそうです。
初めは筑波海軍航空隊に何か関係があるのか?などととぼけたことを思っていたのですが、林大尉にとってはここからが特攻に関わっていく事になる最初の場所だったんだと後日気付いた。(筑波海軍航空隊で教官をなさってたそうで)
記念館に行きながら慰霊碑があるのも知らなかった大馬鹿者は私です。
以前は違う場所にあったそうですが今は移転して正門を入ってすぐ、左手にあるそうです。
2月に行ったときはまだ移転前だったのかな・・・どっちにしてもボンヤリしてた私が悪い。
次はきちんと参拝しなければと思う、いつになるか判らないけれど。

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「人間爆弾「桜花」ー特攻を命じた兵士の遺言ー」  

昨年からいつ上映されるのかとずっと待っていた映画観に行ってきました。
一週間限定の上映なので気忙しいったらない。
しかもお盆をはさんでるのでその期間は電車も混むだろうしと考えて今日にしました。
朝10時から一日一回限りの上映なのでこの前みたいに電車一本遅らせるというようなことは絶対に許されないので5時前に起きて7時前の電車に。
快速に乗れば一安心のはずが、この快速というかJRよく遅れるのです今日も遅れました。
今までもイベントに行くのに何度か遅れたことがありJRには本当にイライラさせられる
時間に余裕を持って出掛けてますが30分遅れたらもう上映時間には間に合わない感じになるので出直しになるなと思ってたら10分程度の遅れだったので上映15分前に着くことができましたか。
途中速足小走りだったので汗がなかなかひいてくれず、映画観ながら途中まで汗拭き拭き

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チラシ表

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チラシ裏

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パンフレット。
何故かパンフレットだけは今年の2月に筑波海軍航空隊記念館で買ってあったのです。
映画館で売ってなかったらと考えて(売ってましたけど)。

ドキュメンタリー映画です、始めから終わりまで登場人物は一人。
林富士夫大尉(海軍兵学校71期)、桜花という特攻兵器の神雷部隊で第4分隊の隊長をしていた人です。
そして特攻出撃者を選びその名前を黒板に書く役目も担っていました。
インタビュー形式で映画は進んでいきます。
ただ質問されたことに淡々と答える。
沈黙の時間も長くて、映画が始まってしばらくするとどこからともなくイビキが・・・(笑)

ある日兵学校出の士官ばかりが招集され、そこで桜花という特攻兵器の事を提案されます、2名の賛同者があればその志願を根拠に桜花作戦を決行するというのが飛行長の説明でした。
考える時間は3日間、彼は志願します。
そこから特攻兵器桜花が実戦使用されるべく準備が進められていきます。
初めて桜花を見たとき、彼は「ああ、こんなもんか。これが俺たちの棺桶になるのか」と正直落胆したそうです。
彼に与えられた任務は特攻志願してきた人達に飛行方法を教えることと志願者の名簿から出撃者を選出して送り出す事でした。
当時の自分に課せられた任務についてこう表現していました「育てて鉛筆の先で殺した」と。
その任務は苦しく辛く、送り出した後人気のないところに行ってしゃがみ込み泣いたそうですが、黒板に名前を書くときに躊躇はなかったそうでこの心理状態が私にはちょっと解りません
泣くのなら躊躇するはずなのに、しない・・・解らん。
当時林大尉と同じ神雷部隊にいて部下が指名され出撃することになったとき、部下はどうしているだろうかと気になってこっそり見に行ったと手記に書いてらっしゃる方もいましたが、林大尉はそういうこともなかったそうです。
生い立ちなんかが関係してるのかなと思わなくもないけど・・・林大尉はお父さんが陸軍の軍人で自分も海軍軍人の道を選んだ時から国の為に命を捧げるのは当たり前、いつどこで死んでも仕方ないと思っていたそうで。
自分ではガチガチの軍人ではないと思ってはいたようですが、考え方の根っこがやっぱり軍人なのだなと私は思いましたけど。
お父さんにも特攻志願は事後報告でしたが、その時お父さんと話して、お父さんは息子に死んでほしくないと思っていたことに初めて気付いたそうです。

特攻が当たり前みたいな戦局になっていく中で「私が天皇なら即刻降伏しますね、今の戦争のやり方は馬鹿げている」と痛烈な批判をした予備士官がいたそうです、「(そういうことが言える)彼が羨ましかった」と林大尉がおっしゃってましたが、その方は西尾光天(みつたか)中尉です。
予備学生士官でしたが林大尉が一番気を許すことのできる仲の良い友達(戦友とか盟友ではなく友達だと林大尉は言ってました)で一番かわいい部下だったそうです。
ですが、一番仲の良い友達であるがゆえに早いうちに特攻指名しなければならない時がきます。
当然周囲は二人が仲の良い友人であることは知っているし、西尾中尉を生かしておくことは林分隊長はえこひいきしているという批判が出かねないしそれは西尾中尉にとっても良くない事なので、林大尉は「ほどほどのところでお前さんを殺すぞ」と西尾中尉に言ったそうで、西尾中尉は「ありがとうございます」と答えたそうです。
それから間もなく特攻指名され西尾中尉は戦死します。
戦死後、林大尉は西尾中尉の家を訪ねて仏壇を拝んだそうです、戦時中に部下の家を訪ねたのは西尾中尉だけだったそうです。
後年、西尾中尉の妹さんの元を訪ねてらっしゃるようです。
部下というよりも友だからという気がします。
自分が特攻指名して突っ込ませて死なせたことになるけど、それを気の毒なことをしたとは思わなかったそうで・・・この感覚も私にはどうも理解できないものでした。
後で泣くのに名前を書くときには躊躇しない心理と同じだろうとは思うんですけど。
おかしな時代だったからなのか・・・軍人だからそういう考え方しかできなかったのか・・・。
林大尉は神雷部隊の士官の集合写真を見て自分がどこにいるかは判らないと答えたのに西尾中尉の事はすぐに見つけました。
今でも忘れることのできない友だからこそだと思います。

スクリーンに集合写真が映り林大尉が歌う「長崎の鐘」が流れて映画は終わりました。

林大尉はこの映画がフランスで公開を迎えた初日、平成27年6月4日に93歳の生涯を閉じました。
「自殺志願」というタイトルで自伝を執筆していましたが未完のままです。
未完ですがこの自伝を元に「父は、特攻を命じた兵士だったー人間爆弾「桜花」とともにー」(小林照幸著)という本が出ています。

戦時中は指名した部下の名前を黒板に書くことに躊躇はなかった、自分の友を指名し特攻させたことをも気の毒には思わなかった林大尉でしたが、戦後はその事に苦しんだようです。
手記には1年365日毎日が慰霊の日々だと書いてらっしゃいました。
死んだ仲間を思い出せばいつでも涙が溢れるとも。
戦時中の自分の事は事実であったとしてもここまで本音で話すというのはなかなかできないことでしょうし(人間はどこか自己弁護したがるもんだと思うので)それをはっきりと語って下さった事を一言一句聞き逃さないように忘れないようにと思いながら観ました。
天皇の事にも触れて自分はこう思っているとかなりはっきりおっしゃっていたし。
パンフレットの最後に筑波海軍航空隊記念館の館長さんが寄稿文を書いてらっしゃってその中で「海軍大尉の頃の林さんを知る人物の中には、数々の取材に応じ、自伝の執筆を志し、積極的に山荘体験を語る姿勢に疑問を持った方もいらっしゃる様ですが、その変化は「軍が特攻へ進む過程」の記憶の継承の為でした。」ということが書いてありました。
寡黙な方だったということなのか・・・積極的に前に出るような方ではなかったということか。
戦時中どういう方だったという事がよく判らないので何とも想像しようがないのですが。
兵学校の同期で第3分隊の湯野川大尉は部下に厳しい人だったようですが、林大尉はいずれは出撃しなければならない隊員達なのだからと少々のことは大目に見る方だったようですが。
戦時中も自分の任務に次第にストレスを感じるようになり転勤を申し出たこともあったようです。
部下や友を指名して黒板に名前を書く事がストレスというよりも、指名され出撃していく人達に比べて自分は生きているという事、いつかは征く事になるだろうけれどその時は泰然自若として征けるだろうかという心の葛藤が心を苦しめてたのかな。
実際出撃する人も泰然自若としているように見えてもいろんな心の葛藤を抱えていたとは思いますが。
転勤を申し出た時、上官にかなり侮辱的な言葉を浴びせられたようですが、終戦間近な頃は違う所に移動になり「秋水」というロケット兵器の部隊の隊長として勤務していたとのことです。
出撃者を選ぶ任務にあたったのは20年6月までの約3カ月で、林大尉は少なくとも桜花の出撃者40人のほか、零戦で特攻した「建武隊」の89人(この129人の中に中根中尉や大橋中尉も含まれているのだなと思うと、複雑な気持ちにはなる)を指名したそうで。
林大尉の手記には、8月15日に敗戦を告げる玉音放送を聞いたとき「もうこれ以上、人を死に送らなくていいんだ」と思った気持ちが綴られているそうです。

長くなりそうなので今日はここまでということで。



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「海辺の生と死」  

映画「海辺の生と死」観に行ってきました(大阪梅田)。
作家の島尾敏雄と妻のミホの結婚前の話がベースになってます。
大東亜戦争末期の奄美群島、加計呂麻島での話です。
ヒロイン大平トエ(満島ひかり)は島に駐屯してきた海軍特攻艇隊の隊長、朔中尉(永山絢斗)と出会い恋に落ちます。
2時間以上ある映画ですが、ほぼこの二人中心に話が展開していきます、恋愛映画はほぼ観ないので途中で眠くなってしまった・・・。
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チラシ

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パンフレット

ヒロインのトエがとにかく激しい。
御互いの想いを確認した後は朔よりトエの方が積極的です。
トエの朔への想いが強すぎて怖いくらい。
あの頃は今みたいにモタモタした恋愛してたらあっという間にタイムオーバーになってしまうので一気に燃え上がるパターンが多そうな感じがします。
トエも夜、海岸沿いの足場の悪い岩場を通り潮が満ちた海に入り泳いで逢瀬の場所に行きます。
朔の事を「隊長様」と呼んで、何というか恋愛もあるだろうけど心酔してるというか、この人の場合愛と狂気が背中合わせっぽくて・・・可愛いんだけど一歩間違えたら怖い女みたいな。
だからこそ朔の出撃を見届けたら自分も命を絶とうという愛し方をできるんだろうけど。
ラスト近く、朔の出撃を知ってトエは身を清め母の形見の喪服を着、懐剣を胸に朔の元へ逢いに走ります、砂浜で朔と抱き合いますが、出撃が迫っているため朔は戻らなければなりません。
「心配しなくても演習だから、大丈夫だから帰りなさい」と朔はトエに嘘を言います、今更そんな嘘は通用しないのでトエは朔に抱き着いて離れようとしません。
「征かないで、征かないで、死んだら嫌!!」と泣いて離れないトエ・・・離したら最期もう終わりです、離せるわけがない。
止めてもどうにもならないのは解るし、泣いても喚いても相手を困らせるだけなのも解る、朔だって生きることができるならそうしたいはずだし・・・。
離れがたいけれど朔は隊長として長時間持ち場を離れることはできないので、トエに戻るよう言ってその場を去ります。
砂浜に泣き伏すトエ・・・朔の足跡がついた砂浜の砂すら愛おしくて着物の胸元に入れるという行動は本当に狂おしいほどに愛してるんだと。
朔に抱き着いて「死なないで下さい」と言うトエの叫びはあの頃、夫や恋人を戦争にとられた女性共通の叫びだったんだろうなと思うとさすがに鈍い私でも涙。
この愛の先に待ってるのは・・・。

島の人達は、軍人らしくない朔の事を皆慕っています。
子供と歌を歌って遊んだり、部下にも横柄な態度はとらない、紳士だから・・・でも私にはそれはこの人の士官としての自信のなさからくるものもあるんじゃないかと思う。
元々、大人しい温厚な人というのもあるんだろうとは思うけど。
映画の中でも「命令されることは何でもないけど命令することには苦痛を感じる」この言葉が全てを物語ってるように思います。
朔は予備学生士官です、本来なら上に兵学校出の士官が隊長として就いて、朔は分隊士で2番手のはずなのですが兵学校出の士官の着任が遅れ朔が隊長になってしまったという不幸・・・。
部下には古参兵もおり扱いづらい、何年も海軍の飯食ってる部下たちに比べて朔は大学を出て海軍に入り短期で士官、別に予備士官に罪はないけど、まぁいろいろと大変だったようです。
トエとの事も部下達は黙認してくれてたけど何か揉め事があったときに古参兵から「島の女と不適切な関係(映画の中ではもっと下世話な言い方でしたけどね)、これだから学生上りは」と言われてしまう。
ストレス溜まりまくりの日常、「出撃命令が出たら真っ先に突っ込むから」と自棄気味、そこにトエとの恋愛が絡んでくるのだからもう何というかがんじがらめ、もし、兵学校出の士官が着任してたら多分トエとの恋愛はなかったのではないかと・・・上官は部下みたいに見て見んふりはしてくれないと思う。
そんなことを考えたら、運命?なんでしょうね、でも近々死ぬと決まった人間に愛という試練を与えるとは神も随分残酷なことするなと思います。

戦時中のドラマや映画に出てる今の俳優さんて顔が何というのか緊張感のない顔というのか・・・。
サクラ花の大和田健介の時にも感じたのですが平和と顔に書いてあるような顔?
実際平和しか知らないのだからそういう顔なのは仕方ないかとも思うんだけど
実際に死と隣り合わせの日常なんて今の日本じゃ経験することもないだろうし。
原作の朔は昼行燈みたいな隊長さんだそうですが、昼行燈でも始終ボンヤリしてるわけではなかろう。
大坪というトエと朔の、メッセンジャーみたいな兵隊がいたのですがこの彼も全然緊張感のないタイプでした。
駐屯地がのどかな島だからかとも思ったりしたけど、敵の空襲なんかもあるわけだし・・・。
永山絢斗はあまり演技が上手くない?出てきて話した瞬間から、台詞が棒?話し方のせい?
初めて見たのは「聖女」というドラマだったけどそんなに演技ができないという感じしなかったけどな。
今回の役柄は年相応の役だったけど・・・。
見た目は背が高くてすらっとしてるから第二種軍装がよく似合ってました、ほとんど三種での出演でしたけど。
軍服は2~3割増しに見せてくれると言いますが海軍の第二種軍装は5~6割増しに見せてくれるんじゃないかと思います。
満島ひかりは不思議な雰囲気の女優だなといつも思う、好きでも嫌いでもないので出演作品は見ないけど(昼ドラに出てた時は見ました)。
衣装が戦時中らしくないデザインでした、ブラウスとかワンピースなんて今のデザインじゃないかと思ってしまった。
二人の身長差のバランスは良かった、抱き合うシーンでトエが朔の首に腕を回すときに背伸びするところなんかは絵になるなと。
あまり身長差がないのもおかしいし、差があり過ぎてぶら下がってしまうのも変だと思うので。

今日は一番の上映時間(11:55~)に間に合うよう用意していたのですが忘れ物をして電車一本遅らせたのが失敗。
田舎は都会と違って電車1本遅らせたらもう後の予定はグダグダになります、解ってたはずなのに忘れ物する馬鹿です。
着いたのが上映10分位前でもう満席立ち見しかないと言われ、2時間以上も立ち見なんてできないので次の回にしたのですがこれが14:50~で。
私が観に行く映画はいつも客がほとんどいないので、今回出演してるのが今人気のある俳優だとしても平日だし大丈夫だろと思ってたのですが甘かった。
私が観た回も満席でした。
戦時中でも恋愛映画なら若い人も観るんですね。
近くなら見るのやめて後日もありですがわざわざ大阪まで来てるのにそれもなと思い、席の予約を取って時間潰しました。
妹のところに行こうかなとも考えたのですが駅から少し歩くので面倒になって止めました。
歩き回って時間潰して、映画見て終わったのが17時とっくに過ぎてたし、帰宅したのは21時過ぎでした。
明日は仕事ですが昼から出勤のシフトなので助かった。
良い映画ならもう一度観てもいいかなと思ってたのですが、今回だけでいいです。
来週また大阪に映画観に行きます今度はドキュメンタリー、桜花の映画です。
私にはこっちの作品の方が合ってるかも恋愛映画は向いてない。
狂おしいほどの愛は若い頃なら憧れもしたでしょうがさすがにこの歳では・・・想い重いわ。
若くてもどうだろう、何もかも相手に捧げて(命だって)想って尽くすトエみたいな生き方は私にはできないな。

朔中尉が搭乗して特攻することになってたのは、
DSCF9769.jpg
震洋です。
DSCF9767.jpg
横から。
今年の2月に靖国神社の遊就館で撮りました。
あまり大きくないボート?です。
ベニヤ板でできたボートと聞いたことがあり、「ベ、ベニヤでできたボートで特攻って!?」と驚きましたが、実際はコンパネみたいな厚みのある板だったそうです。
それでも板ですが

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