FC2ブログ

大好き

好きなもの、日常の事などいろいろと・・・

「神雷部隊記」  

sim (3)
昭和30年5月に発行された、38ページの薄い本。
気になってて欲しかったのをヤフオクで、当然当時の定価ではありません。
発行されてから63年も経ってるのでヤケもあるし状態は良くない。
でも内容は私にとっては嬉しいものでした。
足立次郎少佐、湯野川守正大尉、新庄浩大尉、細川八朗中尉が主に当時の事や隊員の事を語っている本。
遺族の手記も掲載されていましたがこちらは昭和27年に戦友会から発行された「神雷部隊桜花隊」からの抜粋。
中根久喜中尉と大橋進中尉が写真付きで載ってたのです。
いずれも見た事のない写真だと思うのですが・・・大橋中尉の方は初めて見るものだと確信が持てるのですが中根中尉の方は多分見た事ないものだと思うんだけどという感じ。
中根中尉は飛行服に飛行帽、マフラーで口元を覆っている写真です。
大橋中尉は斜め右側から撮ったもので飛行服に飛行帽、口の下までマフラーで覆っているもの。
御遺族から借りたものか、証言をしている方が所蔵しているもののどちらかだとは思うんですが、残念なことに紙の質が悪くてはっきりときれいに掲載されてない・・・今ならもっと良く判るだろうにと思うと悔しい
神雷部隊関連の本では何故か集合写真以外大橋中尉の写真はどれも別人・・・

中根中尉と大橋中尉の事を語っているのは湯野川大尉です。
・神風隊の出現
『百里ケ原から神ノ池に移って本格的に訓練を始めた頃の事であった。
フィリピンで戦闘機が二十五番(二十五キロ爆弾)を抱いて体当たりしたというニュースがあって、この時にはかなり強いショックを受けた。
これが後の神風特別攻撃隊であったが、我こそは特攻一番機の戦士だと自負していたのに後の鳥に先を越されたので、少なからずがっかりした者がいたことは否めなかった。(神雷部隊は特攻することを目的に作られた部隊だった為)
神雷部隊特攻隊員の心境については後でいろいろ話が出ると思うが、神風特攻隊が突っ込んんでいったというときに、いろいろの人がいろいろなことを言ってきたが、その中で未だに忘れ得ない言葉をここには一つだけ挙げよう、それは中根中尉であった。
その時の中根中尉の質問が一番私の肝に銘じている。
フィリピンで戦闘機が二十五番を抱いて突っ込んでいった、その時、飛行機と爆弾が離れない様に、爆弾を飛行機にハンダ付けしたという噂が傳った。
これは本当ではなかったのであるが、ハンダ付けという話を聞いて憤慨している中根中尉は、「何故五十(五十キロ爆弾)を抱いていかないのですか、それにハンダづけなんかせずに、何故弾は煙突に、飛行機は艦橋に別々に突っ込まないのですか」と静かな言葉で私に質問してきた。
爆弾というものは、高いところから落として速力をつけてゆくほど効果があるもので飛行機に抱いたままぶつかったのでは効果は半減してしまう。
「弾は煙突に、機は艦橋に―」
中根中尉は理科系統学徒搭乗員であったが本当に特攻を決心した人間でなければこういう言葉は出て来ないと思う。
忘れられない言葉であった。』

この話は「神雷部隊桜花隊」の中でも湯野川大尉の寄稿文に書かれていますが、どういういった状況でどういう風にということが書かれていなかったので今回この本で判って成程と思ったのでした。
こういう考え方ができるのは戦闘機ではなく爆撃機での訓練を受けてきたから?
「弾は煙突に、機は艦橋に」これを読んだとき私は単純に「弾と機で二度当てることができるから?」などと思っていたのでした・・・馬鹿・・・。
憤慨してるからといって興奮気味にではなく静かに話すところが素敵です。
だからといって冷めてるわけでもなく遺品の中にあったノートに書かれてる事など読むとなかなか激しい部分もお持ちで・・・上手く自分の感情をコントロールできる人なのではないかと思いました。
こればっかりは年長者だから上手くできるとかいうものではないので・・・いくつになってもできない人は全くできない、と思う。

・大橋中尉の思い出
『大橋中尉―私はこの人が好きであった。
私に宛てた最後の手紙には、分隊長と書かないで、兄貴と書いてよこしてくれた。
私も又眞の骨肉を分けた弟のような気がしていた。
「生きるということはむづかしいことですね」ということを彼はいっていた。
学徒でありながら、古い搭乗員の多い第二次大隊長として全員を率い屡々宇佐、宮坂基地に分離行動をとっていて、色々苦労したようであった。
富高の海辺の夜の砂浜に二人で寝転んだ。
空には一ぱい星が出ている。
その星が悠々と動いている。
これを見ていると、戦争というものが妙にばからしい気になる事もあった。
「全く人間は不思議な動物ですね」
そんなことを話し合ったことがあった。
伊澤(勇一大尉、湯野川大尉とは同期生)と同じく大分、筑波、三沢と共に過ごし最も思い出の深い胸の痛む人であった。』

大橋中尉は第三分隊で湯野川大尉の右腕とも言われた方でしたが、湯野川大尉が鹿屋基地から富高基地に移動になるときに鹿屋に残ることになりました。
当時、桜花第一陣の予備士官ではもう大橋中尉と細川中尉しか残っておらず、二人の内どちらかが湯野川大尉と共に富高行きに、細川中尉は大橋中尉は湯野川大尉の右腕と目されているし多分自分が鹿屋に残されるであろうと思っていたようですが、予想に反して残されることになったのは大橋中尉でした。
鹿屋に残されるという事は死に近づくということです。
あの時はあの時で湯野川大尉の判断は間違ってはいなかったとは思う、多分。
適材適所で決めた結果だろうけど、それが大橋中尉と細川中尉の明暗を分けることになりました。
細川中尉は生きて終戦を迎える事ができましたが、大橋中尉は戦死してしまいました。
湯野川大尉も軍人としての自分の判断は間違ってはいなかったと思ってはいたでしょうが軍人じゃなくなった時にその結果に苦しんで胸を痛めたのではないかと思う。
人間人生の中で兄弟と思えるほどの人にはそうそう何人も出会えるものではないと思うので。
大橋中尉が出撃前に人に託した湯野川大尉への最後の手紙には「兄貴、今から征きます」と書いてあったそうです。

中根中尉についてはもう一つ記述がありました。
誰が話したのかは不明ですが。
『フィリピンに於いてはじめて神風特攻隊が出撃した時「どうして弾は煙突に、飛行機は艦橋にぶっつけないのですか」と言った中根中尉は純粋に特攻精神に徹していた。
出撃の前の日も、自分の飛行機のところにつきっきりで、整備兵と一しょに整備していた。
彼は日頃から飛行機の整備に万全を期しいつでも出撃できるようにして機会を待っていた。
彼は機を最上の状態にもってゆき、百パーセントの成果を上げようと日頃から心がけていたのであった。
無論他にも多くのそうした搭乗員を見たのである。
中根中尉は東京に於いて、爆撃により相愛の人を喪った模様であった。
同中尉は苦労を重ねつつ彼を育ててくれた父親と(ここは両親と書くべきところだと思うのですが・・・)、そして亡き人の事が心から離れず大事に胸に秘めている人であった。』

中根中尉にしても大橋中尉にしても内に闘志を秘めてるタイプのような気がする。
御二方に会ったことは当然ないので、想像するしかないのですが、何故そう思うのか・・・御二方の上官だった湯野川大尉はどうも大言壮語を言う人や謙虚さのない人を好ましく思わない方だったようなので(こういう人を好ましく思う人もいないだろうけど)、好ましく思うのはそうじゃない人間と単純にそう思っただけの話です。
上官と部下と言えども人間同士相性の問題もあるでしょうけど。
コナンばりの名推理なんて私にできるはずもない迷推理ならできるけど。

今日は中根中尉の97回目のお誕生日です。
本当にどんな方だったのだろうかと思う、もしできるものならお会いして色々と聞いてみたいこともたくさんある。
失礼に当たらない程度に30年位前の姿で・・・。



拍手御礼は続きより




-- 続きを読む --
スポンサーサイト

category:

tb: 0   cm: 2

「征き死なん春の海ー海軍飛行予備学生の日記ー」 後藤弘  

予備学生13期(前期)の後藤弘さんという方が昭和18年8月11日から20年8月13日まで書いていた日記です。
この方は生きて終戦を迎えています。
基礎教程は土浦海軍航空隊で、中根中尉や大橋中尉達も同期ですがすごくたくさんの人が採用されてるので交流はなさそう。
中根中尉とは分隊も違うし。
実用機教程は中根中尉は艦爆なので台南海軍航空隊、大橋中尉は戦闘機なので後藤さんと同じ大分海軍航空隊だから顔くらいは知ってたかもしれない。
実用機教程で戦闘機での訓練を受けますが適正はすごく良いはずなのに操縦の方はあまり上手くないようでなかなか単独飛行も許されず(着陸が上手くできない)苦労する様子が日記から伝わってきますが、俳句を作ったり読書をしてる余裕もあるようで・・・元々、人と競ったりするのが嫌というか、自分に負けたくないという気持ちが強い人のようで、こういう人って負けたくない相手が自分なもんだから上達も遅いんですよね。
運動神経だって良いし、文武両道に優れてる人ではあるから長い時間をかければ・・・でも予備学生に長い期間の訓練はないのでそこそこ器用にこなせないと厳しい。
実用機教程を経て、601海軍航空隊、博多海軍航空隊、元山海軍航空隊、谷田部海軍航空隊で終戦。
分隊士になってからも飛行技術に自信がないから自分よりキャリアも技量も上だけど部下になる下士官にも強く出れない。
この人に限らず予備学生の辛いところだと思います。
兵学校出の士官も下士官よりキャリアも技量も下ですがそこはまぁ兵学校出ということで威張れるんですけど、予備学生には軍人としての土台がないので。
兵学校の士官よりは下だけど下士官よりは上という中途半端な立場なめられるんですよね下士官から。
斎藤敬一さんという親友も得ますが、後に後藤さんは別の航空隊に移ることになり離れてしまいます手紙のやり取りをしていましたが斎藤さんは殉職してしまいます。
こういう日記を読んでると日々起こった事が書かれてるので、殉職や事故が多いのに驚かされます。
ほぼ毎日事故や殉職があって日記にも訓練で死にたくないという文言が何度も出てきました。
失敗は成功の母とよく言われますが飛行機にそれはなく失敗、それはすぐ死に直結する行為だという事です。
予備学生の方々は特攻などでたくさん戦死なさってますが事故で殉職も多かったのだなと。
博多に転勤になって恋もしますが両想いであるにもかかわらず、戦後その方とは結ばれることはなかったようです。
理由は判りませんが、相手が亡くなったとかそういうのではないようです(女性の親御さんも反対はしていなかった)。
結局は縁がなかったということなんでしょうけれど。
人間はその時の時代というものの中で自分の意志に関係なく不向きな世界に放り込まれて少ない選択肢の中で生きていかなくてはいけないことほど不幸なことはないなと思った。
後藤さんという人は温厚で人と争ったりするのが嫌な人だと思います、他人に対して寛大というか怒りのツボがちょっと人とは違うような、それが軍という中に入って戦闘機乗りになるのですが適正はあっても性格的には向いてないのか、上の人間からは「士官搭乗員の資格なし、呆れた」「自覚がない、品格がない、貴様は何も知らん」と酷評されます、軍という狭い世界の中ではね。
戦後は自分に向いた道で成功しているので、むしろ軍人をやってた人間の方が世間知らずで普通の社会生活をしなければならなくなったときに困ったのではないでしょうか。
大分海軍航空隊にいるときに同時期同じように訓練を受けていた飛行学生(兵学校出身者)達に飛行予備学生が修正と称して殴られる事が度々あったようでその事も日記に書かれていましたが「慣れっこで何も感じない、いずれ戦場に出たら共に戦う方だと思えば小さな感情などふっとんでしまう」大人なのか・・・飛行学生がガキなのか・・・。
闘志はある方だと思うけど、日記に書くことで自分自身の気持ちを鼓舞しているような感じも受けました。
成功した人生も生きて終戦を迎える事ができたからこそなんですけど・・・。

当時の飛行予備学生の生活や考えがどんなものだったか知るにはいいかもしれません。
友情や恋やそういう部分では今の若い人達と何ら変わりません、でもその楽しさと死は常に背中合わせに存在しています。
私自身考えてみたら過ぎていく時間を大切に思うなんてことなかったように思う、自分がどれだけ無駄に時間を使ってるか思い知らされました。


category:

tb: 0   cm: 0

「夢語り~特攻隊員の妻~」・瀬波有子  

陸軍の特攻隊員の元妻(戦後再婚なさったそうで)という方が書いた本。
ゆうこさんかと思ったら、ありこさんと読むそうです。
自費出版ぽい薄い本です、アマゾンで買った古書。
59ページ、文章も字数が多くないのですぐに読み終わりました。
結婚していたのは数か月(多分3~4ヶ月程か)、最初の一月半程は離れて暮らしていたそうなので共に暮らしたのは実質9日ほどだったそうです。
しかも有子さんにとっては叔父さんが持ち込んできた見合い結婚で、有子さんは全然乗り気じゃないのに半ば強引に結婚させられたようなもので夫に会ったのも式当日、夫となった人は25歳、有子さんは19歳だったそう。
有子さんにしたら何が何だか解らないままの結婚・・・幼馴染とかすでに恋愛関係だったというのならもっと違ったんでしょうけど。
この頃の女性の扱いって・・・と少し腹立たしく思いました。
夫になった人は軍人だから結婚はしないと言ってたそうですが上官の勧めもあって結婚に踏み切ったみたいで始まりは双方望んだものではなかったようです。
結婚が決まってからは夫になる人から歌を詠んだ手紙が届いたりしたようですが。
でもこの夫となった人、良い人なんですよ。
イメージとしては陸軍の軍人さんて荒々しい感じがするけど、すごく細やかな心遣いをする人で。
式を挙げた夜も、有子さんに「これから恋愛に入っていこう」と紳士だったと有子さんは書いています、当の有子さんはそんなこと言われても・・・という感じだったそうですが。
式を挙げてから親戚周りや夫の実家にいったりしてバタバタとした日々でそれが済むとどこに行くとも言わず夫は仕事に戻ったそうです・・・
一月半程して勤務地に来てほしいという手紙がきて有子さんは行くことになるのですが、本当は行きたくなかったと・・・甘さなど欠片もない結婚生活・・・。
勤務地は鹿児島南部の航空基地だったそうで夫は一週間から10日に一度帰宅するだけだったそうなので、普段は夫の同僚の奥さん達と過ごしていたそうです、奥さん友達と過ごす時間の方が長いという。
夫と一緒にいてもどこか素直になれず遠慮して距離をとってしまい、夫が有子さんに食べさせようと持って帰ったお菓子(当時普通ならもう一般市民の口には入らないであろうと思う)にも手を付けず、夫に「君は甘いものが嫌いなんだなぁ」と言われたそうで、本当はそんなことないのに意地を張っていたとか・・・御本人も書いていましたが可愛げのない女だったと。
夫の部下が来ても挨拶もしなかったそうで・・・夫部下に対して恥ずかしかっただろうなぁとさすがに同情してしまった
当時の女性は結婚も早かったと思うし精神的にも大人だったような気がするけど有子さんはそうじゃなかったのかもまだ子供というか。
景色のいい丘に登ったり縁側で胡坐をかいて座る夫の膝に抱かれて「赤ん坊みたい」「赤ん坊みたいか」などという会話を交わしたりドラマならそこから甘い雰囲気になるはずなのに、現実の二人はぎこちないままで
状況に心が追い付いていかないまま夫との距離も縮まらず、ある日夫が出掛けた後、夫が残した手紙を見付けます。
手紙には、

「君に与えようと持って行った物を自分がそのまま又持ち帰ったのはなぜだろう。

受けんとして受け入れられざる
愛の雰囲気有子の馬鹿有子の大馬鹿
愛し居る者の心の叫びに
しばし耳をかせ   」

有子さんの頑なさに夫はついにキレてしまったようです・・・
さすがに有子さんもこの状況に驚いてショックを受けたようで・・・当時はそれほど深刻に考えてなかったし恥ずかしかったから拗ねた様な仕草になってしまっただけでと・・・子供だったんですね、この人。
夫は戦闘機乗りで日常的に死とは隣り合わせで今日は生きていても明日は判らないという勤務をしてるのに余計なストレス与えてどうするよと。
夫はそんな日常だから少しでも早く心を通い合わせたかったんだろうけれど・・・。
夫が軍靴を鳴らして帰ってくる足音をどこかで期待して待ってた自分、嫌いな人ではなかったのに・・・だそうですが・・・キレた夫はそのまま二度と有子さんの元に帰ることなく特攻戦死したそうです。
数日して届いた夫の遺品はひとつの包だけ、その包には多分有子さんに食べさせてあげたいからと取っておいたであろうお菓子が入っていたそうです。
甘いものが嫌いだからと誤解したまま渡せず溜まったお菓子・・・。
他は着替え一つ、つけていたはずの日記もなかったそうです。
夫の下着姿も見たことがなかったと書いているので、夫婦生活もないままの結婚だったようです。
夫にしたらもっとお互いの気持ちが近付いて想いあうようになれたらと思っていたのかもしれません。
子供っぽく意地っ張りな妻、それを可愛いと思う夫というのは悪くはないけど、この二人には時間がなさ過ぎた、もっと時間があったらそれなりに上手くいく二人だったのではないかと。
夫の葬儀に出なければならないので夫の家に行くことになった有子さん、夫と共に戦死したと思われる方の奥さん二人も夫の葬儀で途中まで一緒に行動するのですが、汽車の中で夫の遺品に入っていたお菓子を遠足気分で食べたというくだりを読んだとき・・・夫可哀想・・・。
嫌いじゃないけど愛とかまだそんな気持ちは育ってなかったから・・・こういうものか・・・夫の葬儀も訳の分からないまま終わって、夫のお墓に参ったのもその一度だけ以降一度も行くことはなかったそうです。
夫からの手紙も捨ててしまったという。
夫の戦死後、数年経って再婚、母となりおばあちゃんとなったある日、有子さんのお父さんが遺していた文箱の中に戦死した先夫が特攻で戦果を挙げたという新聞記事が大切にしまってあったそうです、その記事の中で先夫の母親が息子の想い出を語っており剣道二段の腕前で主将、中学でも評判だったとか我慢強く喧嘩しても決して泣かなかったとか戦後何十年も経って初めて有子さんは夫だった人がこういう人だったのだと知ったそうです。
短い結婚生活でお互いの事をゆっくり話し合うこともなかったんですね。
あの頃こういう結婚はそんなに珍しくなかったようですが、今ではちょっと考えられない。
妻側としては結婚して愛情が育つ間もなく夫が戦死して、そこからの人生夫の父母に尽くせと言われても・・・。
さっさと婚家を出ていく嫁なんて夫の家族側からすれば酷い嫁なのかもしてませんが。
愛していても長い人生、夫以外の人に心が揺れることはないことはないので。

夫という人は士官学校出の将校だったのか特操出身の士官だったのかそこまでは書かれていませんでした、軍人だから一般市民の食糧事情など知らないのではないかと有子さんは書いていたのでもしかしたら士官学校出の将校だったのかもしれない。
それと戦死したのは昭和19年の初秋頃と思われ、その頃はまだ特攻という名称は使われてなかったと思うのですが。
体当たり攻撃は名称が使われる以前からすでに行われていたようなのでその中に含まれる攻撃で戦死なさったのかもしれません。
海軍と違って陸軍は資料が少ない?

終戦後しばらくして届いた当時の奥さん友達の手紙には「自分の周りでもぽつぽつ兵隊さんが(戦地から)帰ってきています。主人も二階級特進なんていらない生きて帰ってきてほしかった」と書いてありそれを読んだとき自分も生きていて欲しかったと感じたそう。
若い頃よりも歳を重ねてきた今の方が先夫の事を想いだすそうです。
始まりはともかく、お互い想いがないわけではなかったのにそれを育てていく時間もなく永遠に別れることになる時代があったなんて今の若い世代の人達には想像もつかないんだろうな。
若くない私でも想像つかない、自分の祖父母の世代の話だけど。

有子さんはお父さんが遺した先夫の新聞記事を今も大切にしまっているそうです、先夫が自分にくれた手紙を捨ててしまったことを今では後悔しながら。
自分が死んでしまったら先夫とのことも全て消えてしまう、あの頃こんな結婚もあったということを遺しておくために本を書いたそうです。

自費出版だから?かこの本妙に誤植が多くて、海の藻屑が海のもずくとなってたりしてちょっとどうなのと思ってしまった。
以前の持ち主がもずくを藻屑と書き換えてありました


category:

tb: 0   cm: 0

縁があって良かった  

ずっと読みたい本があって探していたのですが、発行されたのが平成11年でおまけに非売品である為もう入手不可能といってもいいほどの本。
当時関係者だけに配布された自費出版?のものの様で一部では買えたようなのでそこに問い合わせたところもう在庫はないとのこと。
読むには東京の関係先のライブラリーしかなく、読むのに万単位のお金をかけて上京・・・無理。
いよいよ諦めるしかないのかなぁとヤフオクで時々検索したりしていたのですが引っかからず。
それが数日前に検索に引っかかった、入札者がいたのでどうかなと思ったけど、諦めたら今後手に入る可能性は限りなくゼロに近いと思われたので入札。
結果は落札できました。
非売品なのでそれなりの金額になってしまうことは覚悟していたのですが、送料入れて単行本3冊程度の金額で収まったので自分ではこのくらいで入手できて良かったなと思いました。
無理なときはもう本当にいくらかけても無理なのですが、今回は縁があったということなのだと思います。

とにかく子供の頃から本を読むのが好きで漫画から小説までいろいろ読むのですが、推理小説だけは読みません。
姉や妹は推理小説しか読まない。
推理小説は何故読まないか・・・犯人にたどりつくまでの過程が面倒臭くて最後から読んでしまうからです・・・それだけです
小さい頃のお気に入りの絵本は牛若丸でした、これが歴史が好きになるきっかけであったとかいうのは全然ないです。
小説は読んでもいいけど漫画はダメだという親がいますがうちの両親はそうではありませんでした、字を読むのはいいことだから漫画でも小説でも読みなさいという人達でしたので。
本の面白さも判らないうちから字ばかりの本だけ読ませても読書が好きになるはずが無いという考えだったのかもしれません。
中学生から月いくらというお小遣い制になったのですが本を買うとなくなってしまうので、本だけは別で親がお金を出してくれてました、感謝しています。
それでも戦記ものなんかは高かったので、それは隣町に住む叔父に借りてよく読みました。
その叔父も40代で亡くなり形見に数冊本をもらいました。
叔父は戦記でも陸軍物が好きだったみたいです、当時私が借りた本も陸軍物ばかりでした。
今、また戦記物をよく読んでますが叔父が生きてたらいろいろ話せるのになぁと思ったりしています。

category:

tb: 0   cm: 0

どちらの人生を選ぶのか・・・  

「出口のない海」、コミカライズ版を読んで主人公の恋人のその後が気になって原作も読んでみた。
美奈子は浩二亡き後晩婚ではありましたが結婚してました。
浩二との事も全て理解してくれる人と出会い結婚したという話。
浩二の願い通り母になりおばあちゃんになったわけです。
漫画ではページ数もあり結構話もはしょってあるうえに遺書も友に宛てたものと美奈子に宛てたものとを合わせたものでした。
遺書も漫画らしい言葉遣いや表現だった。
そうか、美奈子は結婚していたか・・・原作で美奈子の孫が「おじいちゃんは浩二さんに嫉妬してるんですよ」という言葉があったのですが私が美奈子ならもうこれが面倒臭いと思ってしまう。
独身を通した方が後々面倒なことにならないだろうとかいろいろ考えて。
生きてる間は夫と死んだ後は元彼とというのは何か腑に落ちないものがある・・・3人であの世で仲良くお茶でもというのが理想と言えば理想だけども。
恋人や婚約者というのは妻と違ってどうも立場が中途半端な感じ。
相手が戦死しても妻なら妻として生きていくか、さっと実家に戻って新しく人生やり直すか(子供がない場合)決めなさいと婚家の親もある程度嫁の人生に口出しできるけど婚約者だとどうもそこまでは口に出し難いような気がする。
息子の気持ちを考えたら息子のことだけ想って生きていって欲しいなぁと思ってても口には出せないだろうし。
戦後すぐに女が一人で生きていくのは大変だろうから別の人の手を取って生きて行くことを誰も責めはできないだろうけど、忘れることは絶対に出来ないと思う、長い年月胸の中にしまって生きて行くというのもまた辛いことだろうと思ってしまう。
好きな人との想い出を抱いて一人生きて行くか、違う人の手を取り生きて行くか・・・どちらが幸せなんだろう。

私のイメージでは並木浩二は向井理、美奈子は田畑智子なんですよね・・・。
海老蔵にはたとえ10年前であっても傲慢さは感じても爽やかさなど微塵も感じられないので。

category:

tb: 0   cm: 0