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好きなもの、日常の事などいろいろと・・・

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二日目 東京  

茨城県から常磐線で東京へ。
明日帰るので今日の泊まりは東京です。
前回と同じ京王プレッソイン九段下に泊まろうかと思ったのですがここはトイレの便座が冷たかったのでそれがどうも嫌で。
温水シャワートイレなのに何故か便座だけが冷たい。
前回は6月だったのでまだ良かったのですが今回は真冬だし…。
それに九段下は交通の便がいいのでちょっと料金お高め。
それでも贅沢なホテルに比べたら安いんですけど、どうせ寝るだけならもう少し安いとこ探そうかと思って考えた…人形町なんかいいんじゃないか?
ちょうどいい具合にちいさなおみせの向かい側の通りにホテルが2軒。
調べてみたら料金も九段下よりは安いしどちらかに決めようかと思ったのですが前回泊まったホテルでスタンプカードもらったことを思い出しました。
系列のホテルならどこでもスタンプ押してくれるということだったのでそのホテルが人形町にないか調べてみましたが…なかった。
でも隣の茅場町にあったのであっさりそっちに決めました京王プレッソイン茅場町
常磐線の列車で時計見たらまだ14時にもなってなくてこのままだとチェックインの時間よりも早く着いてしまうので部屋には入れてもらえない、どうしようか考える…決まっている予定を変える行動は苦手なんですが一人旅はそういうのも楽しみのひとつなのかなと考え直し東京駅まで行ってお土産なんかを買ってホテルから宅配で送ればいいんじゃないかと、そうすれば帰りの荷物も減らせるし。
東京駅で買い物を済ませ東西線に乗るのに歩き始めたのですが半端じゃない距離を歩くことに…。
もしかしたら近道があるのかもしれないけど知らない土地の駅なんて分からない。
16時頃ホテルにチェックインして少し部屋で休憩してから人形町へ。
ちいさなおみせ2回目だしもう道に迷うこともないだろうと思ってたのですが少し迷った…。
着いたらお客さんが数名、後からも切れ目なく入ってきて結構賑わってました。
頼まれた物が数点あったのでそちらから買うことにしたのですが品切ればかりでほとんど買えず。
人形も日本橋リカちゃんの茶髪があったくらいで他の種類はなし、きらちゃんやマリーンは1体もなく全体的に品薄でスカスカな状態とでもいえばいいのか。
お店の店員さんは女性2人でしたが接客もきちんとしてて感じのいい人たちでした。
割引券が出たのですが使用期限が一年で期限切れになるのは判りきっていたので今日使用してしまいました。

購入した物。
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みらいとマリー。
みらいはいくつか種類がありましたがマリーはあまりなかったように思います。
お店に出てなくても店員さんに聞いたら在庫があれば出してきてくれます。

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さゆりとたまき。
買うか買うまいか悩んだのですが後で後悔も嫌なので購入しました。

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パレットF。
パレットFはこの1体だけでした。

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ブーツの可愛いのや小物をいくつか。
服はチュールスカートだけ。

今回は前回なかったショートカットの子を買えたので良かった。
頼まれた物がほとんど買えなかったのが悔やまれます。
通販にしてもイベントにしても欲しい人に行き渡る程商品が用意できないのだから店舗にしても豊富な品揃えを望むのは無理な事なんだろうけど、この店に行くのが目的で高い交通費と宿泊代払って上京してたら泣くに泣けない気がする…。
イベントの回数増やしたり手広くやってるけど一体何をどうしたいんだろうお城さん。

ちいさなおみせを出て茅場町へ戻る。
今日もお昼は食べてなくて人形町で早い夕飯にしようかと思ったのですが、ホテルの近くではなまるうどんを見たので興味が…関西に店舗があるのかないのかは知らないけど名前は知ってたから。(丸亀製麺ならある)
ホントは東京駅で駅弁買って食べようと思ってたけど、うどんなら早い時間に食べてもまたお腹空くだろうなと考えて入る。
牛肉ぶっかけおろしうどん(小)食べました、美味しかったです。
飲み物を買って行こうとホテルの隣にあるコンビニへ、コンビニの中からホテルに行き来できるらしいのですがカードキーを何処かに差してホテルにという方法なのですがそのやり方が分からず店員さんに聞こうかと思ったんですが聞く間に玄関から出てホテルに入った方が早いのでそうしました。
あまり意味のない方法だと思います、客が簡単に理解できる方法でないと。

部屋に戻って風呂に入り後はテレビを見たりタブレットを触ったりベッドでゴロゴロする(それくらいしかすることがない)。
これこそが至福の時間なのです。
夕飯が早かったのでお腹が減ってきたので駅弁を食べました。

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湘南しらす弁当 1100円
国技館やきとり 620円
東京駅の駅弁屋 祭で買いました。

無題301
しらす弁当を食べるのは2度目、前回帰りの新幹線で食べてすごく美味しかったのでまた食べたいよとずっと思ってたので。
焼き鳥は冷めても美味しいということで…美味しかったです、つくねはあまり好きじゃないのですがこのつくねは美味しかった。

関東で最後の夜です。



拍手御礼は続きより





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二日目 茨城県 その②  

こちらも「永遠の0」のロケで使われた部屋だそうです。
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このシーンは全く知らない。

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宮部の部下が宮部の悪口を言ってる場面が撮られた部屋だそう。
このシーンも見てません。

この映画をテレビで見たのは本当にラストに近い場面だけでした。
宮部が米艦に突しようとするところだけで、艦に乗ってる米兵が恐怖で右往左往してるのを見て「あぁそうか、あちら側にはあちら側の恐怖やなんかがあったんだ・・・」と今更かよと思うような理解をしたわけで。
想像力が欠如してるんだろうと思いますが、日本側の飛行機には当然人が乗ってるのだと理解はしてるけど、米艦は私にとってはただの艦=物でしかなかった。
その中にいるたくさんの米兵の人生やなんかを考えた事がないというか当然あちら側の人も誰かの大切な人なんだということをあの映画の最後を見たときに気付いてハッとした。
当時の戦闘機搭乗員の方で味方の機が撃墜されて墜ちるのを見たら人がという気持ちなのにそれが敵機だと人ではなく飛行機という物という認識でしかなかったということをおっしゃってた方がいましたが私が持ってたのもそういう感覚だと思います。

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一枚の結婚写真。
新郎は写真です、何故ならもうこの世の人ではないから。
新郎は藤田暢明少尉(予備14期)昭和20年5月14日特攻戦死、享年23歳、新婦は睦恵さん。
出撃前、藤田少尉は御両親に睦恵さんとの結婚を許してくれるよう話しますが反対されます。
特攻に出てしまったら若い睦恵さんは未亡人になってしまうということを考えての事でした。
藤田少尉も一時は迷いますが睦恵さんの「委細は承知で結婚するのです」という言葉で気持ちを固め手紙で繰り返し結婚を許してくれるよう訴えます、そして出撃3日前の11日に結婚を許すという手紙が届きました。
5月14日藤田少尉の出撃を見送り、睦恵さんはその足で徳島の藤田家に行き結婚式に臨みました。
睦恵さんも睦恵さんのお母さんも、藤田少尉の御両親も涙を見せませんでしたが、藤田少尉の御祖父さんだけが声を上げて泣いたそうです。
祖父母にとって孫は我が子よりも可愛い存在だとよく言われますが、この時の御祖父さんの気持ちを考えると・・・。
戦後、睦恵さんは義父らの説得に応じて帰京(睦恵さんは東京出身)、大学に進学、その後は1993年に亡くなるまで一人で生きてこられたようです。
戦争体験については「口をつぐんでいるほうが伝わる事もあるのよ」と語る事はありませんでした。

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愛しいわが愛妻睦恵!来世も次の世もまた次の次の世も暢明の妻となってくれ。
睦恵、睦恵、睦恵。
優しいお前をだれよりもおれは愛する。睦恵さようなら。
むつゑ、睦恵、睦恵、睦恵!優しい優しいただ一人の睦恵 さらば! 又の日
海軍少尉 藤田暢明

大切な人を亡くして(奪われて?)48年間、自分宛の遺書を読み返しては泣いた事も一度や二度ではなかったと思います。
何度も何度も繰り返し睦恵さんの名を書いている遺書を読んでいるとそこからは一緒に生きて行きたいのにという想いが溢れているように思えます。
そうしたいのにできない悲しみと悔しさが・・・。

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金井正夫少尉(予備13期)昭和20年4月6日特攻戦死、享年23歳。
金井少尉が文通相手の女学生に送った手作りのペンダントヘッドです。
材質はガラスだそうですが爆撃機の風防部分で作った物だそう。
実物を見ましたががとてもよくできていて素敵なペンダントヘッドでした。
手先が器用な方だったのだなと感動。
二人は200通に及ぶ手紙をやりとりしていましたが、会うことは一度もなかったそうです。

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「彩雲のかなたへ」(著者、田中三也・偵察員)という本に載っていた写真なのですが、ここにも展示されてました。
バレーボール(当時は排球か)した後で撮った1枚だそうです。
命懸けの日々の中でもこんなに和やかな時間があったんだなと、見てるこちらまで引き込まれて笑顔になってしまうような写真です。
ボールを持ってるのが田中三也さん、後列左端が田中さんのペア森田さん(戦死)です。
多分、いっぱい汗かいて埃っぽい感じだけれどこの清々しい爽やかさは何なのだろう。
もし今の映画やドラマでこの場面が再現されてもこの爽やかさはでないだろうと思う、今の俳優さんて小奇麗な爽やかさは出せるけどこういう爽やかさは出せないと思うから。
田中さんは現在93歳で御健在です。

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石丸進一少尉(予備14期)昭和20年5月11日特攻戦死、享年22歳。
プロ野球選手です。
私がこの方を知ったのは「知ってるつもり」というテレビ番組でした。
母方の祖父が大の巨人ファンで沢村栄治さんの事はよく聞かされていたのですが、石丸さんの事は知りませんでした。
最期のキャッチボールという話はとても悲しいです。
知ってるつもりを見て私があまりに泣くもんだから家族ドン引き…。
戦争というものを始める人間という生き物の愚かさに、それに巻き込まれて夢どころか命まで奪われる人がいる悲しさに、愛国心を大義名分にしたら何でも許されると思って若者を戦争に行かせる人間への怒りとかそんなものが自分の中でぐっちゃぐちゃになって泣いた。
戦争というものの前では夢も希望もへったくれもないということかと・・・。
出撃前、戦友に「死にたくない、怖い」と話し兵舎の陰で泣いている姿もあったという話も残っています。
死への恐れと闘いながら出撃前最期のキャッチボールに全ての思いをぶつけて逝った彼の気持ちを考えると…。

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号令台。
当時のままです。
当時の隊員の方のお話では桜が満開の季節はそれは見事な景色だったそうです。
近くに立ってる木は桜ですがこれは当時のままの桜なのか?

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号令台から撮った旧司令部庁舎(現記念館)。
昭和13年に建てられたそうです。
桜の季節は綺麗だろうな。

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号令台の近くに立っていたオブジェ。
「かえり雲」
元隊員の彫刻家、流正之氏が当時の想い出と慰霊のためにと寄贈した作品だそうです。

記念館の赤いジャンパーを着た年配のスタッフさんにはとてもよくしていただきました。
家族連れかグループで来ている人ばかりで、おばさん一人は私だけ。
当然撮るばかりで自分が納まるものは撮れるわけもなく・・・。
あちこち見て周って撮っていたら、「こっちにおいで」と呼ばれて後を付いて行く、どこに行くのだろうと思ってると一室に通されて「そこに立って、撮ってあげるから」と言われ振り向くと壁いっぱいに永遠の0のポスターが・・・後は外で記念館をバックに撮っていただきました。
不細工だからあまり写真撮るの好きじゃないんですけど、こんな時は記念になるのでとても嬉しかったです。
自分からは撮ってもらえますかなんて言えないもんで。
有難うございました、いい想い出になりました。

記念館で購入した物。
無題289
クリアファイル。
記念館のキャラクター友部空くんが可愛い。

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ドロップやらピンバッヂやらストラップやら。
お菓子類をお土産にと思ったのですがお土産用のお菓子は置いてませんでした。

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メモ帳。

無題300
映画のパンフレット。

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右側の本は予科練平和記念館の蔵書の中にあって欲しいなと思った本だったので購入。

無題299
こちらは古書です。
本は荷物になるので旅先ではなるべく買わないようにしようと思ってるのですが、本好きには無理な話。

予科練平和記念館で買った小冊子の改訂前のが売っていました。

帰りはタクシーを呼んで友部駅まで。
帰りの運転手さんはお話好きな方で駅に着くまでいろいろ話して楽しかったです。
どこから来たのか訊ねられ、関西からと答えると驚かれ、何かのついでにここに来たんですか?と聞かれたので記念館を見たくて来ましたと話すと2度驚かれる・・・
途中の広い道路は元滑走路なんですよと教えてもらい〝おおっ、そうだったのか〟と。
運転手さんの話だと茨城は観光客があまり来ない地域1位だということで・・・本当か?と思う。
「水戸なんて偕楽園とかあるじゃないですか、食べ物も納豆とか干し芋とか梅とか美味しいものあるし」と言うと「地味でしょ」と・・・。
「この辺りも何もないしね、記念館ももうなくなるみたいだし」と言われ「話には聞いてたので今回慌てて予定立てて来たんです、何とか残すことできないんですかね、残さないといけないと思う」と真面目な話も・・・維持するのも税金だし行政の考えもあるだろうしそこらへん難しいのではという話でした。
確かに交通の便では不便かなぁと思う。
平日はバスが運行してるけど肝心の土日祝には走ってないというね・・・
今日も日曜なのでバスはなく、タクシー使いました(片道1000円)。
観光バスや車を使えば便利なんでしょうが、そういう人ばかりではないのでね。
臨時バス出したりするのも難しいでしょうし。
記念館に行く途中、しまむら、アベイル、バースデイ、シャンブルが一ヶ所にあったのが羨ましいぞと思ってしまった。

友部駅の売店みたいなコンビニみたいなお店で父にお土産の納豆と自分用にボールペンを買う。
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水戸黄門のピカチュウ可愛いやんかとつい購入。

常磐線に乗って東京へ。








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二日目 茨城県  

バスで眠れなかったことが良かったのかよく眠れました。
それでも目覚しが鳴るより先に目覚めましたが、6時20分。
「はやく起きた朝は」というトーク番組に見入ってしまった、この番組随分長い事やってるんじゃないだろうか、多分私が住んでる地域ではやってないので今回初めて見たけど。
後、ヒロミがゲストにベッキーを呼んで話すトーク番組も身支度しながら引き続き見る、関西では見れない朝のトーク番組は面白いなと思う、ベッキーを見ててやっぱり強かさを感じたけど芸能人はこれくらいの図太さや強かさがないとやっていけないのかも、もう清純爽やかなイメージではだめだろうけど。

8時前に朝食を食べに行く。
バイキングで結構人で賑わってました。
ご飯、パン、スープ、味噌汁、惣菜や果物、納豆は3種(さすが水戸のホテル)種類も豊富で美味しそう。
普段はパンなので今日はご飯に。
おかずはウインナー、きんぴられんこん、昆布の佃煮、味噌汁、オレンジ(オレンジよりもグレープフルーツを食べたかったのですが薬の関係で食べられなかった)。
納豆も気になったけど匂いがあるので。
味噌汁が具沢山ですごく美味しかったです、おかわりしたいくらいだったけどこれからまだ行くところがあるのでお腹いっぱい食べられないのが残念でした。
綺麗に盛って画像をなんて事はできない人間なので、撮ってません。

9時頃チェックアウトして水戸から友部へ。
多分もう来る事はないだろうけど水戸での時間は楽しかったです。
友部…土浦の方が開けてるんですね。
邪魔なキャリーバッグはコインロッカーに入れました。
ゴロゴロ音はうるさいし、予科練平和記念館では親切に受付で預かってくれましたがもう重くて嫌なのでロッカーに預ける事に。
目的地は医療センターの敷地内にあり土日にバスは運行してないのでタクシーで行きました。

筑波海軍航空隊記念館です。
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今回の旅行はここに来たくて計画しました。
映画「永遠の0」のロケ地でそれに合わせて開館されたので当初は期間限定の記念館だったそうで。
継続するかどうかは一年ごとに見直されるようでいつまでの開館かは分からない状況なので今回思い切って。

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受付で入場料を払ったらパンフレットをいただきました。
パンフレット込の入場料なのでお得感が。
受付の方に撮影はしていいのか聞いたらOKとのこと。

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予科練の制服、冬服です。
予科練平和記念館では撮影できなかったのでここで撮れるとは。
七つ釦で釦には桜と錨がデザインされてます。
短ラン…日本人の体型をよく見せてくれるデザイン。
夏は上下白、冬は上下紺、6月だけ上は夏服で下は冬の紺ズボンだったそうです。
練習生にも女学生にも6月バージョンが人気だったとか。
確かに爽やかでカッコイイかも。

今回ここを訪れたのは「桜花隊分隊長と神雷部隊展」という展示を見たかったからです。
去年6月の旅行日程に何とか組み込めないもんかと思ったのですが無理だったので諦めたのです。
その時はまだこの展示はしていなかったので、日程が合わないのだから仕方ないかくらいにしか思ってなかったのですが、今はあの時はまだ行くタイミングじゃないよということだったのかもしれないと思っています。
展示物の中にどうしても見たいものがあって、それももう見る事ができないかなと残念に思ってたので正直これは縁だと。

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湯野川守正大尉(海軍兵学校71期)、桜花隊第3分隊の分隊長。
音楽評論家湯川れい子さんのお兄さんでもあります。
写真は兵学校時のものだと思います。
まだ少年の面影が残ってますがハンサムです。

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こちらも湯野川大尉、横顔も素敵です。
湯野川大尉も素敵なのですが私が気になって気になって仕方なかったのは湯野川大尉の部下だった中根久喜中尉(予備学生13期)と大橋進中尉(予備学生13期)の御二方です。
御二方を知ったのは湯野川大尉の伝記だったのですが、何故かすごく印象に残ってしまいネットで調べてみる事に。
大橋中尉の事はほとんど判らなかったのですが中根中尉については数年前に御実家(茨城県行方市)の納屋から遺品箱が発見されその中には手紙や中根中尉が撮った写真が収められたアルバムが入っていてそれが大分県宇佐市に寄贈されたという記事が載ってたのを見つけました。
その遺品が宇佐市の図書館で展示されているという記事も見つけて宇佐市に行こうかと思ったのですがその資料展は1年前のものですでに終了・・・
もう見ることもないのだろうなとがっかりしていたところ、今回筑波海軍航空隊記念館で遺品の写真等が展示されてる事を知ってこれこそ縁だとほとんど思い込みと勢いで茨城まで来たという。

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中根久喜中尉(日大・予備13期)昭和20年4月14日指揮官として零戦で特攻出撃戦死、享年23歳。
湯野川大尉が疲労から黄疸になった時、心配した中根中尉が手足も凍りつきそうな小川に入り蜆を採ってきて蜆汁にして飲ませてくれたとのこと。
御両親に残したアルバムに貼ってあった湯野川大尉と共に写った写真の裏には「私が死ぬ時までかわいがっていただきました」と書かれていたそうです。
婚約者もいたようですが3月10日の東京大空襲で亡くなったとのことで、「もう思い残す事は何もなくなりました、分隊長(湯野川大尉)と共に死ねる事は私の喜びです」と湯野川大尉に話したそうです、実際に婚約者は亡くなってしまったのか、空襲後のゴタゴタで連絡が取れずにいただけなのかは今となっては判りません。
蜆の話からこの方は心のとても優しい人なのだなと思いましたが、当時基地の近くに住んでいた子供だった人が中根中尉から訓練の様子を見せてもらったり「キャラメルやチョコレートを一帯の子供達に分け隔てなくくれる優しい人だった、ラジオ放送で中根中尉の戦死を知った時、あんな立派な人間を何故一回限りの作戦に使ったのか・・・」子供ながらに抱いた疑問は83歳になった今も変わらず持ち続けてるそうで、子供ですら疑問に思う事を何故大人が実行に移してしまうのか・・・私も理解できない。
写真はみかん茶を飲んでる中根中尉です。

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大橋進中尉(山口師範学校・予備学13期)昭和20年5月4日指揮官として出撃、桜花に搭乗、米駆逐艦シェイに突入命中し戦死、享年24歳。
この写真ですが中根中尉が撮影されたもので、記念館では神雷部隊隊員だったかそんなふうに紹介されていて名前は判らなかったのですが、多分大橋中尉だと思います、多分ね
お顔は集合写真でしか見たことがなかったのですが、輪郭や目鼻立ちから大橋中尉だと。
師範学校出身の方なので教師を目指していたのだと思われます。
中根中尉同様湯野川大尉の部下でした。
出撃時小さな紙に走り書きをして湯野川大尉に渡してくれるよう人に託しました、そこには「兄貴、今から征きます」と書かれていたそうです。
年は大橋中尉の方が上ですが分隊長である大尉の事を兄のように慕っていたのだと思います。
湯野川大尉からこの話を聞いた人は、冷静に話をされる湯野川大尉の声がたった一度だけ震えた瞬間だったと。
「喜びて御盾とならん若櫻我が屍でことぞ足りなば」大橋中尉、辞世の句です。
我が屍でことぞ足りなばという言葉が悲しく切ないです。

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雪合戦、こういう一時もあったのだなと思う・・・。
この他にも中根中尉は写真をたくさん残されていて(約300枚くらいあるそうです)それはアルバム6冊分だそうです。
自分が生きて過ごした瞬間を御両親に残したかったのかもしれません、自分より先に子に先立たれる親も辛いですが、この先老いていく親を残して逝かなければならない子の心もまた辛く苦しい。
腹立たしく思うこともしばしばですが孝行できる親が居る私は幸せなのか・・・?

「桜花隊分隊長と神雷部隊展」は最初の頃より少し縮小されていたのか湯野川大尉の血染めのマフラー(零戦に乗っていて故障でで不時着したとき計器に顔を打ち付けて怪我をしたそうでその時に巻いていたマフラーか?)も展示されていたみたいですが今回見当たりませんでした。
残念。

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飛行服、真ん中は飛行作業がない時に着てた服?
神雷部隊と書いた鉢巻締めてます。

「桜花隊分隊長と神雷部隊展」の場所で結構長時間過ごし、別の展示室へ


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映画「永遠の0」に出てきた医務室。
この映画もドラマもほとんど見ていません。
父が見ていたのでところどころという感じで。
この医務室の場面はたまたま見ていて覚えてました。

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このコートを登場人物が着ていたのも見ました。

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入り口を入ったらすぐに立ってる看護婦さん。
入った瞬間人かと思って驚いた

二日目その2へ続く











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一日目 茨城県 その2  

予科練平和記念館を出て、雄翔館へ。
雄翔館はお隣の陸上自衛隊土浦駐屯武器学校の敷地内にあります。
入り口の所には歩哨の人がいてちょうど交代の時間だったのか自転車コギコギやってきた隊員の人と交代してまたコギコギ去って行きました。
中は広いので自転車で移動してるんですね。
移動手段が何なのかなんて考えた事もなかった…。
本当に入っても怒られないのかとドキドキしながら歩哨の隊員さんに軽く会釈して雄翔館に向かう。
駐屯地とはフェンスで仕切られていて、戦車なんかが停まっててフェンス越しに写真なんか撮っちゃおうかとカメラを出したのですが、許可なく撮ってはいけないのではないかとふと思い撮影は止めました。
入り口に戻って歩哨の方に撮っていいかと聞こうかとも思ったのですが特に戦車が好きというわけでもないので、雄翔館に向かうことに。
雄翔館には予科練出身の方たちの遺書や遺品が展示されています。
予科練平和記念館よりも遺書や遺品の数はこちらの方が多いです。
見学は無料で普通に入って見る事ができますが、開いてなかった…え…休み…私以外にも二人先に来てた人がいてどうしようかと考えてたら、さっき自転車で去って行った隊員さんが来て慌てて開けてくれました。
訪れる人があまりいないのか開けるのを忘れていたみたいです、本当なら9時に開館のはずなのにとっくにお昼まわってました。
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小さな町の公民館みたいな建物です。

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入り口には山本五十六元帥の銅像。
逆光で顔が判らない。

館内は撮影NGです。
展示物はそんなに多くはないですけど、何人かお名前と顔を知ってる方もいました。
西澤廣義さん、松本勝正さん、中西義男さん(戦闘機搭乗員)、北村十二郎さん(回天搭乗員)。
展示ケースの中にあった西澤さんの写真は軍刀をついて立っている全身写真、背も高くバランスのとれた体型だなぁと。
長身というのはそれだけで絵になるのでね、当時は小柄な人が多かった搭乗員の中では高身長だったみたいです。
あるブログで西澤さんの身長を検証してたのを読んだことがありますが175くらいだったのではないかと。(180超ともいわれてますがそれはなかったみたいです)
男前だったそうですがこればかりは人の好みによるので感想はいろいろでしょうけれど、キリッとした男らしい顔立ちの方だなぁと私は思います。
それと写真てその時々で全然違う感じに写っちゃう人もいるし(特に集合写真)西澤さんてこのタイプ?。
知ってる人が見ても、これそうか?っていうのもあるし。
身内なんかだとこれが一番普段に近いわとか判断できるんでしょうけど。
展示ケースとは別に上部の方に戦士した方々の御遺影がたくさんあってその中に西澤さんのもあったんですが私は遺されてる写真の中でこの御遺影の西澤さんが一番西澤さんらしいのではないかとふと思ってしまいまいました。
御本人に会ったことなんか当然ないので思い込みなんでしょうけど、何故かそう思ってしまった。
一種の軍服で帽子はかぶっておらず髪の毛は五分刈りが伸びた感じ、これから撮られるぞと特に構えたようでもない自然な写真です。
私、西澤さんを見るといつも西郷輝彦思い出すんですが…。

雄翔館を出て雄翔園へ。
あまり大きくない庭園ですが予科練の碑や像が建っています。
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予科練勧誘映画ともいえる「決戦の大空へ」の挿入歌です。


西郷輝彦Ver.


松方弘樹Ver.
私は西郷輝彦の声の方が好きかも。
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予科練二人像。

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凛々しく空を見上げています。

予科練平和記念館で購入した物
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この小冊子ずっと欲しかった。
ここにしか置いてないので入手することはないだろうなと思ってましたが入手できすごく嬉しかったです。
昨年末に改訂版になったようです。

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海軍カレーじゃないけど、日本一(らしいです)の土浦蓮根が入ったカレー。
蓮根好きなので。

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クリアケースとボールペン。
職場で使います。

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このキューピーのマスコットがずっと欲しかったのですが靖国神社でも売ってなくて(前は売ってたみたいですが)、ここで見つけた時は感激した。
楽天市場の通販でも買えないことはないけど…。

土浦海軍航空隊は昭和18年公開の映画「決戦の大空へ」のロケ地でもあります。
当時の練習生達がエキストラで出演しています。
手旗信号とか鉄棒、マット運動、水泳、飛込みといろんな訓練をしています。
ラスト近く予科練の卒業シーンで行進したりしてるのもそうだと思うのですが、それはそれは凛々しく美しいので憧れて予科練へ進む少年が増えたのは理解できます。
話もいい具合に盛ってありますし、班長も厳しく温かい理想の鬼さんお兄さんだし、恐ろしい罰直なんて影も形もありません。
映画の中で予科練の見学に来たヒロインとその弟に教員が「普通の健康体ならこなせる訓練だよ」と優しくいってましたが、訓練よりも酷い罰直が夢を打ち砕き心を折ってしまうんだろうがよとツッコんでしまった。
あの苦しい日々を乗り越えて来たからこそ戦後の大変な日々を生き抜いてこれたのかもしれないなと考えたら本当に頭が下がります。


雄翔園からバス停へ向かう道でもう一度振り返って記念館と広がる青空を見ました。
今から70年以上前、同じように青空を見上げ、空を飛ぶ自分の姿を想像して厳しい訓練を積んでいた少年達、戦中戦後日々苦労したこの人達や亡くなった人達にこの国はきちんと報いただろうか…そんな事を考えながら阿見町を後にしました。


土浦を離れて、今日泊まる水戸へ。
水戸駅は思ってたのと違い賑やかなので驚いた。
駅ビルにたくさんのお店があって楽しそうなので後で来ようと思う、先にホテルにチェックインしたくてホテルを探して地図を片手に歩き始める。
割りとすぐに見つかりました。
「水戸プリンスホテル」です。
ホテルはいくつか候補に上げて最初は○パホテルにしようかと、駅をはさんで南と北にあって北の方にしようかと思ってました、朝食バイキングが結構豪華で価格も手頃だったのでほぼ決定かというところまでいったのですが立地条件がいまひとつで…駅から少し離れてたんですよね。
それと私は朝からガッツリ食べる人間ではない、特に外出先では、なので豪華でもあまり意味がないことに気付いたので、もう一度考えて水戸プリンスホテルに決定。
到着したら思ってたより建物が古く地味なホテルでした、鍵も外出時はフロントに預けないといけないのが面倒だった。
建物は少し古いけど部屋は清潔で広くはなかったけど寝るだけなので問題なし、ただテレビが机の反対側だったので座ったままでは見れなかった。

16時頃チェックインしたので変な時間に朝、東京駅で買った駅弁を食べた。
崎陽軒のシウマイ弁当 830円。
美味しかったけど冬の駅弁のご飯は硬い…。
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駅弁を食べた後はテレビを見たりタブレットを触ったり家でやってる事と同じように過ごす。
もう出掛けんのも面倒臭いな〜などと考えてたら、折畳みの傘を持ってくるの忘れた…家を出る時多分茨城は雨になるから傘忘れたらあかんぞと父に言われたのに。
他にも持ってくるの忘れた物がいくつか…重い腰を上げて駅まで行く。
しまむらと百均で買い物(水戸まで来て何でと思うが、あって良かったしまむらと百均)、傘も手頃な値段の物があったので購入。
小腹が空いたので、たこ焼を買う、何も水戸まで来てたこ焼食べる事ないだろと思われるかもしれないけど食事に関しては旅行中だから美味しい物食べようとか贅沢しようとかそういった考えは一切持たないので適当に。
御世話になってる人へ御土産を買ってホテルへ戻る、たこ焼食べて風呂入ってベッドでゴロゴロ…父と電話で話して後は話す人もないけどそういうのは苦にならないので一人はいいなぁと、今日は夜行バスで眠れてないのでよく眠れるはずです、多分。

二日目に続く



拍手御礼は続きより


















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一日目 茨城県 その1  

午前7時東京に到着。
夜行バスでの一夜が明けたわけですが…疲れた
初めてだったので落ち着かなかったというのもあったのかもしれないけど。
通路側はカーテンを引く事ができたのですが前後にはカーテンがなかったのでそれも落ち着かない原因のひとつだったのかも。
眠っちゃうと前の人が限界まで椅子を倒すのでトイレ行くのに立つのも一苦労。
ほぼ個室みたいなのだったら大丈夫かもしれないけど。
帰りは新幹線にしておいて良かった。
すっきりしない頭で八重洲口まで歩く・・・寒い、都会の朝って田舎より寒々しい感じがする。
歯が磨けないのが嫌で何とかしたいと思ってたらトイレの洗面所でみんな普通に洗顔してるのでそこで歯を磨く顔はちょっと洗うのは無理なのでマスクで誤魔化す事にした。
薬を飲まなければならないので朝食を摂りたかったのですがあまり食欲もなく、とりあえず売店でお弁当を買っておく、それから上野まで行く。
上野駅売店で一口サイズのさつま芋(チップスみたいなのではなくふかし芋みたいなの)のお菓子と水を買って常磐線に乗って土浦の予科練平和記念館へ。
発車まで時間があり空いてたので芋をサッと食べて薬を飲んだ。
バスの中で眠れなかったのもあり移動中はずっと寝てました。
1時間で土浦へ。
10時頃到着して中途半端な時間ですがちゃんとした食事をしたくて駅ビルの中にあったフードコートで天丼とミニうどんのセットを注文。
量も少なめで美味しそう・・・食べたら・・・味が濃い。
うどんの出汁はちょっと塩辛いけど大丈夫、天丼のつゆがすごく濃かった、甘辛いけど甘さより醤油辛さが勝ってる感じというのか。
あまりに味が濃いと量を食べられなくて御飯を半分ほど残してしまった。
外食時は残すの絶対嫌なのに・・・
私自身どちらかというと濃い目の味付けが好みなんですが。

駅は南口と北口があり案内図にはどちらにもバスと書いてあり、どこからバスに乗ればいいのか判らないので観光案内所で聞く。
言葉のアクセントが違うのでどこから来たのか尋ねられて答えると「そんなに遠くから、有難うございます」と言われる

15分程度バスに揺られて到着。
最寄のバス停から徒歩3分らしいのですがそれらしい建物はないし右に行けばいいのか左にいけばいいのか・・・聞きたいけど人もいないし、どうしたもんかと思ってたら初老の女性が散歩してるっぽい感じだったのに出会い聞く。
「真っ直ぐ」とだけ・・・真っ直ぐ行くけど左を見たら建物が見えたのでどこから入るのか道を探したら自衛隊の武器学校の横の道を入ればいいことに気付き戻って信号を渡り行く・・・どこが真っ直ぐだよ・・・

「予科練平和記念館」は土浦海軍航空隊の跡地に建っています。
予科練は土浦航空隊の中にありました。
お隣さんは陸上自衛隊土浦駐屯武器学校です。
敷地に入ったらすぐ目に入ってきたのが
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「回天」です。

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潜望鏡です。

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いろんな角度から見てみたけれど(不審者かよと思うほどウロウロぐるぐる周って見てしまった)、これ本当に人が乗れるの?と思ってしまい信じられない思いで、しばらく佇んでしまった。
実物大だから間違いないんだろうけどどう見ても人が入って座るには狭すぎるのではないのかと思って・・・あの頃に比べると今は同年代の女の子でも当時の彼等よりは大柄だろうからそう思うのかもしれないけど。
狭い中に一人で入って(訓練では2人入ることもあった。狭いのにね。)中の操作も全て一人でこなさなければならない、手が6本くらい欲しいと思うほど操作に関してはやることがたくさんあったとどこかで読んだ覚えがある。

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スクリュー
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回天は黒じゃないのか?と思う人もいるかもしれませんが、訓練用はこういう色だったそうでそれを実物大再現してあります。
回天の搭乗員は全体の70%が予科練の方だったそうです。
以前本で読んだのですが(『ああ回天特攻隊』著者・横田寛)土浦と宝塚あと三重だったか奈良だったかのどちらかの予科練から集まっていたと思うのですが土浦の人達が関西組の倍くらいだったような・・・。
関西から来た予科練の子達はおっとりぼんぼん風の人が多かったようですが土浦はやんちゃ坊主風の人が多かったようです。
おっとりぼんぼん風でも本当にぼんぼんじゃあ練習生はやっていけないとは思うので同じ予科練でも地域や隊の気風もあったのでしょう。
私は関東の人間より関西の人間の方が荒っぽい気がするんですけど・・・。
『ああ回天特攻隊』著者の横田寛さんは回天の搭乗員だった方ですがここ土浦の予科練出身です。
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回天模型の場所で一輪だけ咲いていた、たんぽぽ。

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予科練平和記念館の建物。
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ここから先は撮影禁止です
予科練(海軍飛行予科練習生の略称)・・・あまり深く考えた事なかったけど略称だったんだ。

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そんなにたくさん展示物があるわけではなく、中は当時の生活風景なんかが再現されてました。
入試問題とかも資料としてありましたが、私なんかに解るわけもなく・・・数学がとにかく苦手でした。
国語問題は本で見たことがありましたが、こちらは割りと得意だったので理解できましたが、今の同年代レベルでは難しい問題なのではないかと思った記憶があります。
生活風景の展示では収納棚とか吊り床とか(画像撮れたらなと)・・・あまり熟睡できそうにないけど厳しい訓練に明け暮れてたからバタンキューだったのか?
元予科練だった人の手記なんか読むと最初は親が恋しくて吊り床の中で泣いたとあり、厳しい訓練と教員からの理不尽な罰直(暴力?)、それこそ本当の意味で血と汗と涙で日々人間が鍛えられていく、そういう日常がここで70数年前にあったのだなと。
まぁあの頃は愛のある体罰と愛のない体罰を練習生たちも解っていたようですが・・・。
訓練中は鬼のように怖くても終われば良き兄貴という教員も少ないかもしれないけどいたようなのでそれがまだ救いか。
実際は練習生の自殺や事故を装って怪我をし予科練を去るそういう事も少なからずあったようです。
甥がほぼ同年代なのでもしこんなめにあってたら伯母としては耐えられないし想像するだけで泣けてくる。
そんな苦しい日常でも空に憧れていつかあの大空を飛ぶという強い気持ちがあったからこそ耐えもできたと思うけど実際は後半になると乗る飛行機もなく、秘密兵器の搭乗員として行ったら回天、震洋、伏龍・・・みんな空じゃなくて海・・・。
しかもいずれも特攻・・・泣くに泣けない状態というのはまさにこういうものなんじゃないかと。
この頃はもう空であっても特攻ですが、飛行機乗りになりたくて予科練入ったんだからたとえどちらを選択しても特攻という道からは逃れられないのだとしたら誰だって空選びますよね。
少年の憧れを利用して乗せる飛行機もないのに大量採用する大人の汚さよ・・・。

あと酒保(売店みたいなもの)での食事風景はこんな感じでしたよみたいな展示物とか(うどん、白玉入りぜんざいとか)、あの日常だったら食べる事くらいしか楽しみもなかっただろうな、食べ盛りだし。
でも終戦真近でも甘味なんてあったんだろうか。
一般市民よりは少しは恵まれていたのかもしれないけど。

ここからはちょっと生々しい話も出てきたりするのでたたみます。
読んでから何とかしろとキレられても困りますので、嫌だわと思う人は読まないで下さい。
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